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宗教や信仰についての雑記 #36

◯あるブログを読んで

先日、キリスト教の伝道師となるためのトレーニング中の方が書かれたブログを読みました。


その方は、母親の死という苦しみを経て、強烈な宗教体験をした後、クリスチャンの友人と再会し、信仰を得たそうです。
そこにはこう書かれていました。
「『あなたはイエス様を救い主てとして受け入れますか?』と牧師先生に聞かれたとき、私はイエスが誰だか、聖書に何が書いてあるのか、分からなかったけれど、私はあの光が天国から来たものと信じていた。いや、疑いようがなかった。母が私の人生を招いてくれていたようだった。いや、イエス様が。」
この問いかけにその方は「はい。」と答えたそうです。

イエスのことをよく知らず聖書も読んだことがないのにイエスを救い主として受け入れる、その箇所をを読んで少々驚きました。
でもそれと同時に、遠藤周作がある著作の中で、「宗教は思想ではない」とか「宗教と宗教性とは違う」とか「宗教は無意識である」とかいうことを書いていたのを思い出しました。
それ(宗教あるいは宗教性)は、ある教団やグループに属するということとは関係がない、意識にある思想や観念ではない、それ以前のことだというのです。

このブログの方がよく知らないままイエスを受け入れたのも、強い宗教体験があったからこそであり、その宗教体験は無意識によるもの、あるいは無意識にイエスがはたらきかけたものなのでしょう。
私にはよくわからないのですが、このようにまず宗教体験があって、教義はその後についてくる、そんな信仰への入り方は少なくないのかもしれません。

またその方は、母親の病気や死を受け入れられなかったことからくる強い罪悪感に苛まれいたそうです。
強い宗教体験に逢ったのは、その背景に大きな苦しみがあったからなのだとも思います。その苦しみがあったからこそ、イエスが働きかけてきた、そんなふうにも思えます。

そうであれば苦しみとは何なのでしょう。
それでついてはまた次回にしたいと思います。

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