宗教や信仰についての雑記 #131
◯「あるべきようは」
明恵上人の有名な言葉に「あるべきようは」という言葉があるそうです。そしてその言葉には、主に以下の3つの意味が込められていると考えられているとのことです。
① 自身の役割を自覚し、主体的に生きること。
人は皆それぞれ異なる役割を持って生まれてくる、その役割を果たすことが真の幸せにつながる。つまり、自分自身の役割を自覚し、その役割にふさわしい生き方をすること。
② 状況に応じて柔軟に対応すること。
物事には常に変化があるので、「あるべきよう」も状況に応じて変化していくものである。そのため、「あるべきよう」にとらわれすぎることなく、常に状況を見極め、柔軟に対応すること。
③ 真実を見抜き、偽りに惑わされないこと。
この世の中は様々な誘惑や欺瞞に満ちており、そのような誘惑や欺瞞に惑わされることなく、真実を見抜き、正しい道を選ぶことこそが、「あるべきよう」を生きることである。
以上の3つのことについてですが、まず、自分の役割を自覚するということは、現代では昔と違って生まれたときから身分が決まっているわけではないので、よくよく考えると、なかなか難しいことのようにも思えます。
また、状況の変化に対応することや偽りに惑わされないことについても、現代社会の変化の速さや、詐欺やフェイクニュースなどが溢れている状況を考えると、そう簡単ではないようにも思えます。
今日、少なからぬ人々が、このようなことに日々頭を悩ませ、迷い、苦しんでいるのではないでしょうか。
そう考えると「あるべきよう」とは、それを求め、日々努力を続けてゆくことそのもののような気がします。禅の言う「修証一如」ですね。
私も私の「あるべきよう」を、日々求めてゆきたいと思います。
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