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宗教や信仰についての雑記 #44

◯見えない悪魔

以前、「悪魔」とは実体を持つものではないということを、遠藤周作の著作で読みました(「私にとって神とは」だったと思います)。

悪魔が実体を持つものだとすると、神と悪魔が対概念となり、神が相対化されてしまうとのことで、神は絶対的なものだから、神に対する悪魔は実体を持たないのだそうです。

この論理は私にはあまりピンとこなかったのですが、その後に、悪魔とは「信仰の無」のことであり、それ故、悪魔は姿を現さず目に見えないものだ、といった意味のことが書いてありました。
これについては腑に落ちる気がします。

また、悪魔とは知性の傲慢さのことだという見方もあるそうです。
知性とは自分の目に見えるものや自分が知っていることが全てだと思い、それ以外のものを軽侮し見下してしまう傾向が潜んでいるそうです。
そのような、知性がはまりやすい陥穽が「悪魔」と表されたとのことです。

おそらく目に見える「悪魔」はまやかしなのでしょう。人々の目がそちらに奪われている間に、本物の悪魔が密かに多くの心を蝕んでゆく、そんなイメージが湧いてききました。

過激派やカルト集団などを「悪魔のような奴らだ」と言って非難や攻撃している人の内に、悪魔は忍び込んでくるのかもしれません。
テロリズムの恐ろしいところは、無差別に人々を殺害することだけでなく、多くの人々の心に敵対心や憎しみを植えつけることなのでしょう。

お釈迦様の言葉に「怨みに報いるに怨みを以てなせば怨みの止むことはない」というものがあります。
また、イエスの言葉にも「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というものもあります。
これらは言わば、見えない悪魔を照らし出す言葉、ということなのでしょう。

傲慢さを拭いきれない知性は「無明」と変わらないのかもしれません。

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