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ジャパンタウンの秘密

YouTubeでうっかり「濃い」動画をクリックしてしまうと、また次から次へとより「濃い」動画をおすすめされてしまう。サジェスト汚染ってやつだろうか。

おすすめされた動画でアメリカ人女性が「私は日本の宗教を信仰しているの!日蓮宗の仏教!南妙法蓮華経!」と叫んでいて、私の故郷の宗教事情を思い出したので昔話をしたい。


日系商店の裏事情

結論から話すと、私の地元の日系の店には某老舗新興宗教の息がかかっていると言われている。それがいいとか悪いとかは一切関係なく、ただそうであるという話だった。街の人々の常識らしかった。息のかかっていない店の方が少ないのではないか。そう話す人もいた。

日本人も地元民も大好きなお店

何を売っている店とは言わないが、日本人駐在員にも地元民にも愛されるお店があった。日本のものなのに比較的リーズナブルな価格で販売していて、クオリティも高かった。バリエーションも豊富。現地人にも馴染みやすいようアレンジが加えられた商品があってとても人気があった。私も愛用していた。とてもいい店だし、地元を友達に紹介するなら必須だろう。そんな店。

私は大人になるにつれ「日本のインターネット」に触れ、日本事情に詳しくなっていった。その中で私の興味を引いたのは宗教だった。私は視覚情報を捉えるのが得意で様々な宗教のシンボルや象徴的な色を覚えるようになった。新興宗教というものの存在もそこで覚えた。現地人は全員クラシックなキリスト教徒だったので、新興宗教、特に日本のものとは無縁な人生を送っていたから。
そう思っていた。ある日までは。

高校生の頃、ある週末、例のお店に足を運んだ。
「これください。」
「以上でよろしいですか?こちらでお会計します。」
レジ後ろに金色に輝く額縁。何かの賞状らしかった。その横には特徴的な配色の旗が飾られていた。

私は店を出て考えていた。
あの旗、見覚えがあるな。
そうだ、日本の新興宗教だ。

まずはWikipediaを確認した。間違いない。配色も一致している。オーナーが信者なのかもしれない。
興味本位でその店のホームページも検索してみることにした。するとどうだろう。サイトの真ん中にでっかく旗が載っているではないか。よほどご利益があるのだろう。

実はこの店、実力が伊達ではないこともあってチェーン展開している。他の店舗の写真でも看板や軒先に同じ旗が見られた。私の住んでいた街には当時2店舗あったのでもう一つの店舗を訪れた際に確認するとやはり賞状と一際大きな旗があった。しかもシンボルマーク付き。

少し気になったので現在の状況を見てみたが、ホームページや店舗写真からは旗もシンボルマークも軒並み消えていた。看板に旗が描かれていた店舗だけは変わっていない。宗教色をあまり出さない方向になったらしいが、サイネージを入れ替えるのは予算的に難しかったのかもしれない。

海外生活と宗教

強引な勧誘など悪いイメージが纏わりつきがちなのが新興宗教だが、海外での暮らしにおいては重要な役割を担っている。

例えば、同じ宗教の人を紹介してもらえば移住先での生活をサポートしてもらえることが見込める。日本国内でさえも引っ越しは面倒なのに外国へ移住するとなると大騒ぎだ。そもそも家を借りられるかそうかとか、インターネット回線の申し込み方とか、ゴミの出し方とか、挙げ出したらきりがない。そんな時、先輩がいてくれて、不動産屋に「この人には家を貸して大丈夫ですよ」と言ってくれるだけでも大家の態度は大きく変わる。

更にビジネスを始めたい人は仕事を軌道に乗せやすくなるというメリットがある。すでに店をやっている人たちのコミュニティがあるということは先輩から現地でビジネスを成功させるためのアドバイスがもらえる。しかもコミュニティ内で「新しくきた〇〇さん、お店やってるそうだよ」と口コミで宣伝してもらえる。そうなれば「じゃあ今度遊びに行ってみようか」とお客さんになってくれる。そうして人が人を呼ぶという仕組みになっている。

他にも移住先で落ちこぼれる人を拾う、つまり孤独にさせないという重要な役割がある。「コミュニティで囲っている」という言い方をすれば聞こえは悪いが、定期的に集会を開催することで人の孤立化を防げる。仲間意識を高めることで孤独意識を薄めるのだ。ここで特別なのが「宗教」という性質で、それは人々を助け合う方向に導く。その宗教を信仰し、教えに従った行動を取るだけで村八分にされずに済むのだ。外からは「怪しげな教団」とは思われるのだろうが、ギャング化されるよりはいいと思っている人も少なくないと思う。

そういう意味では日本国内以上に海外では宗教の"本来の"機能を果たしている感じはする。

異教徒と隣り合わせの暮らし

実は私の地元の友達にも信者はいる。そして彼ら/彼女らは全員家庭で入信している。幼馴染は全員2世か3世だ。顔が広いこともあってアルバイトを紹介してもらえたり、仲良くしておいて損はない。

しかし当人に聞くと広く知り合いがいて良い反面、世代間では面倒だったりもするらしい。ご年配の方に「ちゃんと集会に来ないのはまともな信者じゃない!ほっつき歩いていないでしっかりやりなさい!」と久しぶりに集まりに顔を出すたび怒られるんだとか。当時若年層だった幼馴染としては「行きたい時でいいじゃん。いつ誰といたいかは俺が決めるし。それで(信仰を)やめるわけでもないんだからジジイの言うことなんてどうでもいい」らしい。
それは彼に同意する。宗教をどの程度信じているかとか、このくらい信心深ければ立派なんて基準も別にないのだから。ただ信者間で"信仰の深さ"で溝ができるというのは私にとっては発見だった。

新興宗教と聞くと近寄りがたいが、何も知らずに接していれば普通の人なのだ。家に無駄に立派な仏壇があるくらいで。
私が覚えている限り信者の友達と険悪な雰囲気になったのは小学生の頃の一度だけで、女子で「家の宗教は何?」という話題になったときだけ。1人が「なんだろう?お葬式はお寺だから仏教かな?」と言った途端、別の女子(一家でとても熱心な信者)が「仏教徒!?お経ちゃんと言える!?私は全部言えるよ!お経言えないなんて仏教徒じゃない!」と怒鳴り散らしたときくらいだ。こうして熱心な教育をされた子だと他人の進行に口出ししてくることもある。


冒頭で書いたアメリカ人女性の「私は日本の宗教を信仰しているの!日蓮宗の仏教!南妙法蓮華経!」と喚き散らす姿とその目の輝きは小学生の頃の彼女の姿を想起させた。ただそれだけだ。

#海外 #海外生活 #宗教 #新興宗教 #ジャパンタウン #日本人街

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