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映画「ジェイコブズ・ラダー」を観て心と体のつながりを考える

あらすじ



1990年公開の映画。ベトナム戦争下で、アメリカ兵であるジェイコブ・シンガーは敵兵の奇襲により、腹部を大きく負傷する。
直後にニューヨークの地下鉄から目を覚まして物語がはじまるが、奇妙でおどろおどろしい体験とともに、現実と夢の境界が曖昧になっていく。

※ネタバレ。






思考は肉体の演出家

臨死体験などの酩酊した意識の中では、人間は肉体に生じる刺激を敏感に察知して、それを映像化します。それはまさに観客が自分一人の映画です。

劇中では、死へ進んでいくメタファーが多分に盛り込まれていて、そのどれもが的確かつ強烈な印象を与えます。
それは紛れもなく本人が直面している肉体的な痛みと崩壊に起因しており、体が不安定な状態の時に催される独特の嫌悪感などが、ダグラス・トランブルの演出によって非常に映像的に表現することに成功しています。

それは穏やかに始まり、逃れられない恐怖を通って、やがて自分自身が宇宙であり、現実であると悟って静けさに回帰していきます。

本作でも主人公は、始めは「死」の予兆に怯え、それを拒絶し続けていましたが、徐々に受け入れることで最終的に本作のタイトルでもある「ヤコブの梯子(階段)」を亡き息子に連れられて登っていきます。


思考も肉体もまた物質である

映画の中でジェイコブは、常に死の匂いを感じていました。当然我々もそれは同じです。その感覚はまるで常にバランスを崩し続けているかのようです。
ジェイコブは絶え間なく押し寄せる出来事に直面することでバランスを崩し続けて、それはまさに命もほかの物理現象と同様に、宇宙の法則に従って回転し、その宇宙法則はある一つの結果に向かって運動を続けるというのが、つくづく人間の考える物事はすべてにおいて命が源であるということを考えさせられます。
結局、心と体のつながりは、この現世全体とのつながりを示唆することになるといったような側面を見出してくれる映画でした。




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