見出し画像

幼児期の手術後残した記憶の残滓

久しぶりに、健康診断で悪い結果が出たので、
多分その大元であろう先天性の障害の、大昔の手術の事を思い出しました。

先天性とはいえ、気がついてもらえたのは3年経ってからで、手術時期の記憶も残っています。

親から聞いた話から自分が再構成したのかとも思いましたが、
にしては
あまりにせこくて細かい。

病床では、寝て起きたくらいの記憶しかなく、
タオルケットがやたら体に絡みつく素材で、
やっと蹴ってもたしなめられた事と、

やっぱり意味が分からなくて怖かったような印象が薄ぼんやりとあるくらいです。

ただ、お見舞いというありがたい習慣を、
初めて認識したのは覚えています。

むしろ入院行き帰りの道行きは細かく覚えており、
行きには緑色のバスケットを持って、こんなルートで歩いた、という事と、
親の不安が伝わった事は、
その後時々夢に見ました。

そして、無事手術も終わり退院の日、
白っぽい景色をお別れの気持で見て、
所々が写真のように記憶に残っています。


そこまでの思い出はまあまあキレイなのですが、ここからせこい。

親の運転する自家用車の後部をフラットシートにしたのに乗って、
真横の扇風機が揺れるたびにコツコツするので押さえてたその時、

「お見舞いに頂いたキューピーちゃんのチーズ忘れた!」
と思い出し、
親に言ったものの、
諦めさせられたのです。

本当にキューピーちゃんだったのかは怪しいですが、
かわいいキューピーちゃんが書かれた箱に、
縦に差し込んだスティック状のチーズがたくさん入ったもので、
大事に思っていた。

普段、食べて良い分だけが少しずつ渡される病気の幼児にとって、

自分の分として、
たくさん入っているものを箱ごと所有できる事が本当に嬉しかったんだと思います。

忘れてきたことがかなりショックでした。

でも、心配かけた親に無理も言えず呑み込んだんだと思います。多分。

その後も似たような商品を見かけるたびに思いが蘇るもので、

いつまでも手放せない未練です。

名前も覚えた執刀医の先生は、年齢的にもういくらなんでも亡くなっていると思うのですが、

キューピーちゃんはいつまでも元気で、
過去の事にしづらいです。

いやでも、ホントーっに!
人間の記憶と身体は、
事故・故障が無ければ、ライブの期間が長過ぎで、

短期的な判断が、
後々まで影響してしまうのを、

人生も後半に差し掛かると、
ゾッとするくらい身を持って実感してしまいます。

だから、「諦める」という、
能力を磨かないといけないと思うし、

記憶に縛られてしまうようになるのならば、
認知症とかも、
私にとっては福音かもとすら思ってしまいます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?