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春の日(短歌と俳句のような)

前うしろ
子を乗せ走り春陽えむ


自転車に二人の子を乗せて、母さんは走る。
春ですね


ブランコに
連れられ空に
抱かれる
笑い声まで吸い込まれてく
  子どもがブランコを漕いでいる
背中を押すと 空に向かって上がっていくよう
お空に抱かれて なにを観るの?

声聴こえ
エントランスにぼうや来て
ああ時空超え
あの日のきみに会いたい
 
いつもの親子。坊やが走りこむ
 
 成長した息子のあの日に会いたい

あったかい
きみのポッケに手を入れて
花冷えの町ぬくもり伝う
 
   

梢よりいや空いっぱい散らばって
銀河鉄道見ているようだね 
 
黒々とした松の木の梢より
いや 四角い空に散らばる星々。あまりに多くて
どこまでも多くて。

  

お水取り
空を焦がして松明のアッシュピンクに染まりゆくなり

欄干を
たたいて焦がす松明の炎に祈る平和であれと

星がものすごく大きくてたくさんでずっと見ながら帰りました。プラネタリュームみたいでした。公園は広大な森だから余計な光がなくて星が白馬の空みたいに散らばってどこまでもあるのです。

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚が創始された。以来、令和5年(2023)には1272回を数える。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔することを意味する。
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。

東大寺の長い歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が失われてしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。

行中の3月12日深夜(13日の深夜1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。

12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備える。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められる。



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