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バセドウ病になりました③

伊藤病院の初診後、一旦精神的に落ち着いたはずのわたしは、翌々日あたりから、また泣き続ける毎日でした。
何がそんなに不安なのかは分からないが、一瞬気が緩むと堰を切ったように涙が止まらなくなる。
ひとりでも、パートナーといても。
バセドウ病がきっかけだけれど、少し自分の生き方を考え直そうと決めた。


仕事で顧客に伝えては、優しい言葉をもらった涙ぐむ。温かいメッセージにまた泣く。
5月の体調不良が始まってから、毎日のようにLINEをしてくれる親友。彼女とは成人してから知り合ったが、いいことも最悪なときもそばにいてくれた。そばにいられないときは、電話やメール、LINEと心だけはそばにいてくれた。
わたしが彼女にしてあげられたことなんて、何もないと思う。いつも彼女から与えられてばかりで、これから先も頭が上がらない。
彼女からのLINEにも毎日涙が溢れた。

パートナーは、わたしが泣くのが苦手だ。泣くとびっくりして「泣く?」と聞いてくる。「泣いてない」と返すが、そのときにはわたしは号泣だ。
ひとしきり泣いたわたしの顔を見て、パートナーは「エシディシ」と言う。パートナーはジョジョ好きだが、わたしはわからない。でも少し笑えるから落ち着く。

病気になったから、みんなが優しいのかと思っていたが、逆だと言われた。
わたしが今まで与え続けてきたから、優しくしてきたから、自分のできる限りのことをしてきたから、みんなが返してくれているんだと、言われた。
これは、パートナーも親友も、親も顧客からも。
そんなに大切にしてもらっているのに、わたしはわたし自身を大切にしたことはあるのだろうか…。
あるようで、無いかもしれない。
ひろゆきは、「僕は僕に優しくしているから自分が好きです」と言っていた。(要約してます。)自分に優しくするって何だろうと。

今まで生きてきて、好きに生きていた時はあるんだろうか?
小さい頃から順を追ってみる。
きっと幼い頃は、好きに生きていたしきっと自分を好きだったはずだと思っていた。

思っていただけで、記憶は全然違っていた。
小さい頃から、周りを気にしていた。特に親。極めつけは高校時代。
自分の進路を適当に決めたから、全く楽しくない上に部活ばかりで楽しかったことは少ない。部活は、厳しくて辞めたいといつも思っていた。辞めたら学校に居場所が無いから、仕方なく続けていたと思う。
さて、いつ頃わたしは自分に優しく過ごせていたのか。
それは、専門学生〜社会人3年目くらいまでかもしれない。
それからずっと誰か人生を生きていた気がする。
親とは上手くいっていたが、それは親のいうことを聞いていたから。わたし自身を甘やかすと親とは上手くいかなかった。(家族で揉めて2年程帰省しなかった。)

そして、今は…
優しくする感覚が麻痺っていた。
「やればできる」「勉強すればできる」「なんとかしてみます」「わたしが責任とる」「わたしがやらなきゃ」

ずっとこんな感じ。
出来ないこともなんとかしてやろうとした。
間に合わないものは、なんとかして間に合わせた。
何かしなきゃいけない。
完璧でなくては、ダメ。
出来ない=価値がない ダメな人
捨てられないように頑張る

と、こんな事ばかり考えていましたね。
自己肯定感が低くて、理想ばかりを追いかけ、自分の色々をすり減らせていく。
自分を正しく評価出来ていなかった。極端な過大評価と極端な過小評価。


バセドウ病のおかげで、考え方を生き方を変えたいと思いました。

もう少し優しくなろう。
自分のできることだけやろう。
疲れたら、ちゃんと休もう。
嫌われてもいい。好きな人達に好きでいてもらいたい。
自分を正しく評価しよう。
自由な時間を作ろう。
何もしない贅沢。
毎日抱きしめてあげよう。
ゆっくり歩こう。

と。

これが自分を大切にすることに繋がるのかは、わからない。
でも、発症する前よりも自分のことは好きになれそうな気がする。


バセドウと診断されてから、1ヶ月がたっても、まだまだ泣いてますけどね。それでも、前よりいい感じに力が抜けてます。

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