職業に貴賎なし 過去に介護の仕事を選んで葛藤した世間体と実情
最初は私自身も介護は無理、働きたくないと思っていました。テレビで見たうろ覚えの特集やニュースと周りから辞めとけと聞いた偏見だけで決めつけていました。
そんな私がどうして選んだか
親の為です。正確には近い将来介護が必要になる為勉強しようと思っていた事と、進学先の合格を貰う直前に働ける人が居なくなり、生活の為に直ぐに受かりそうな所を選んだ結果介護がマッチしました。残念ながら給料は低かったのですが、それでも正社員だしスキルも資格もないから仕方ない、勉強ができて給料も貰えると考える事にしました。
全く興味がなかったものの、選んで決めてからは、YouTube、書籍、Google検索でブログを読み、InstagramやTwitterでも情報収集。不特定多数の経験者から技術や体験談、日記等を読み漁り、介護について知ろうとしました。
実際に働き始めてからはやはり知識で知るより現場で見て生身で感じる方が身に染みて勉強になったと思いました。介助も素手ではないのでそこまで抵抗もなく、仮に触ってしまっても、あっヤバくらいですぐ洗うから問題なしと思うくらいだったので、それだけでも適正あったと思います。会う度に頑張ってるね、ありがとうと笑顔で声をかけられ、握手もしたりと暖かい人も多く、やりがいを感じた為、国家資格をとろうか(実務経験3年必要、あるいは大学等)定年まで続けてもいいかもとすら感じ誇りに思いました。
ややいつ死んでもおかしくないという自覚が足らず、食事介助の時によそ見をしたり、立ち上がってるのに気づかなかったり、まあそれは普通に自分がサボってたので悪いのですが、そのサボりや怠慢で人が死ぬというのを自覚してちょっと責任が怖く感じたこともあります。
自分の世話だってできないのに、他人の生死を預けられてもと困惑し、1度辞めましたが、またパートでデイサービスで働きました。今はそれも辞めてます。
介護について調べてたり、職場の人から聞いたりしてリアルな現実と理想の建前を見てきました。(1年未満ですが)
介護はやはりやりがいがあり人の人生の最後に関わる仕事だと思います。その時の支援によって、長生きして良かったとか、死んでしまいたいとか思われる影響力もあります。高齢な為、いつ亡くなってもおかしくはありませんが、長生きが出来るよう、長く楽しんで貰えるよう過去の貢献者を労り感謝を伝えられる機会だと思っています。医療職の中では初心者で未経験、資格なしでも出来る仕事ですが、いくら施設が責任を取ってもらえるとはいえ、目の前で徐々に衰え認知も進み、介助も増えれば、もうただのアルバイトではありません。
介助だけなら覚えれば小学生でもできます。けれど専門職と言われる所以は、技術よりも、信頼の重ね方と観察力にあると思います。そもそも拒否されてしまえば介助も行えず、無理して行えば虐待で訴えられる可能性もあり、悪気がなくとも、深刻な症状になるまで放置し結果、早死にしてしまえば、介護どころではありません。
介助を快く受け入れて貰えるように普段から行動や言葉遣いで信頼を築くことこそ介護職のプロと言えると思います。
私自身それを強く信じていますが、それとは別に介護職の悪い話を聞き、泣いたり、それを理由に辞めたりもしました。
介護職が底辺と言われ、そんなはずないと思えても、どこかで介助の内容が…、利用者からセクハラや暴力があるんでしょ?、給料が底辺だからかなとか思い当たる節があると思います。ろくに知りはしないのに働きたくないと思えるくらいに世間のイメージやニュースでやりがいは見ず苦しいところ、辛いところばかり目にします。辛いのも間違ってませんし、映像もヤラセではないと思いますが、全員でもないし全部でもありません。
職業に貴賎なし
こうは言ってもよく知りもしない上、かろうじて知っているのがマイナスな印象しかなければ、上下あると思いますが、私は職業に貴賎してもいいけどその職についている人々を貴賎するなと言いたいです。
そんな仕事を選ぶしかないなんて程度が知れる
その職業の人たちとは話が合わないから、他の人もきっとそうだろう
どこも就職できなかった人達が行き着くたまり場
などと心無い言葉は少なくありません。
未経験者ほど多い傾向がありますが、傾向が多いだけで経験者さえも否定的です。
自分のことならと自虐のつもりでも主語が大きければ自虐ではなくなります。
未経験者であれば知りもしないのに、とか選択肢にすら入れないようなら、と諦めもつくのですが、経験者が言えばさすがに他人事ではないので、気になってしまいます。
私自身は元気な時はポジティブなワードで、元気がない時はネガティブなワードで検索しがちですが、そういうの抜きでも、ふと同世代はどんな感じかとポジティブな意味で検索しても、やめとけ、もったいない そんな言葉だらけで無視できるほど私は強くない。誇りよりも世間体を気にして自分のプライドを守りたいという思いの方が強くなりました。
なぜ介護職はこんなに反対意見を押し切らないといけない職業なのか。他の職業が大変だったからと言って同じ程の熱量で否定されるかと言えばそうでもない
ブルーカラーでなくて良かった自分に安心したくて下を作っている人も、心の底から理解できない人も、誰でも出来るから頑張ってないと思ってる人も、想像力が足りないだけならともかく、それを言葉に出して、人間性まで否定されるのは、認知症で判断力が弱いという免罪符もない分、私には耐えられなかった
気にしなければいいだけだけど、辞めた今でも気になってしまうのだから、続けていたらより仕事以外のことで苦しみ続ける事になっていたのだと思う。
偏見はなくならない、今も私だって無自覚に知りもしないで決めつけ避けているものがあるはず。無自覚だから気づいてすらいない、きっと悪気もない。もしかしたら過去の経験で根拠を持つようになったかもしれない。でもそれって本当に正しい根拠?嫌いな根拠と初めて会う人や出来事に冷たくしていい根拠なんて同じでは無いしズレているから的外れ
だからせめて、体力も腕力もないからと避けていた介護が楽しかったから、警備の仕事を挑戦してみたり、力の使い方次第で自分でも出来る可能性があったからそれを理由で諦めないようにして、コンビニやコールセンターにも挑戦してみたい。ネットのアンチでさえ傷ついてるのにと不安もあるが、夢にまで見た嫌いなゾンビを静止画のグロ画像を見るようにしてから克服できたので、案外何とかなるかもと思ってる。
やってみてからダメだったと言いたいと思えるようになった
知らないまま選ぶのを辞めていたら、消極的な理由で自分の可能性や価値観と出会えていないと思ったら本当に偏見という殻を破って調べて挑戦して、本当に良かったと思う。
少し前までは、コンビニとか、チェーン店のバイト並に介護の仕事を経験してる人が多ければいいのにとか、もっと良さを広めて働く人を増やしたいと考えていたけど、根本的には、知って経験してからせめて偏見の言葉言えってことじゃないかな
理性で仕事や生活してるけど、綺麗事や事実だけじゃどうにもならないから、ただの理由じゃなくて自分が納得出来る答えが欲しかったのかな
以上、自分の介護の経験の感想と、ネガティブな世間体に関する愚痴を書きました。なるべく補足がいらないよう合間合間に説明は入れるようにしたものの、感情的になったり、分からないところが分からないなどあるんでしょうが伝えたいことは書けました。
職業に貴賎なし
給料の低さでも、あるいは仕事内容でも、いくらでもバカにできるし、粗探しすれば出てくるしキリがありませんが、それを理由に知らないまま、避けるのは惜しい、もったいないかもという思いが1番です。最後までありがとうございました。