見出し画像

鏡の中の私と、私


私は滅多に鏡を見ない、
見ないのもそうで、『見たくない』と言う気持ちが明確にある。

実の所、鏡に映った自分を直視するのが
堪らなく嫌で怖いのだ

けど、こう言った気持ちは
『自分の容姿が嫌いだから、鏡を見たくない…』と言った考えとは、
少し違うのかも知れない。


怖いと言うよりも、鏡の中の自分の姿を見ると何故か、もの悲しくなっしまうのだ。

鏡に映る私の姿は、
私が思っていた私の姿よりも
背が高く、手と足が長く、
目と鼻、口と言った
顔立ちがあの頃と違い
ハッキリとした顔付きをしている。

そんな実際の自分を鏡で見て、
自分の事なのに毎回驚いてしまう。

自分を鏡で見て初めて
『自分の体の成長した事を再認識させられる』
自分と言う現実を、毎度の事突きつけられている気さえするのだ。

その事…自分の成長に対して、
自分が自分に驚いてしまっていると言う事実にも、何処か悲しくなってしまう。

酷い時には、まるで誰か知らない人を見ている気さえ起こる。

大袈裟なのかも知れない、けれどそこに知っている筈の『自分』と言うものは映っていない気さえしてくるのだ。


そんな風に、
鏡の中の成長している自身の姿に、

毎度何処か違和感を感じ驚いてしまうと言うことは、
きっとそれだけ自身の中身(精神年齢)と入れ物(自分の姿)が合っていないと、感じているのだろう。


鏡を通して、自分の姿を俯瞰的に見た事により、
私の中身…精神年齢と、
自分の体は…自分の実年齢は、
見合ってないのでは無いか…とより自覚させられる。

自分の精神年齢が、
既に幼い頃に、何処かで止まってしまっているのでは無いか…といった悩みが

鏡を見て自身の姿を見る事で、そういった思考がハッキリと浮かんでくるのだ。

きっと自身が、
自分の事や行動について考える時

いつも脳裏に浮かべているのは、
幼いままの自分の姿、小中の頃の自分自身の姿だった。

そればかりか、夢ですらもそうなのだ。
今の成長して大きくなった体の自分や、実年齢の自分の姿など、一度も夢に出てきた事がない…。
夢の中の自身は『小学生の私』
『中学の私』そんな自分ばかりで、
それに合わさってなのか、勿論夢に
出てくる周りの人達なんかもそうで、

あの頃のクラスメイト、あの頃に連んで遊んでいた友達ばかりだった。

その夢の中で、私は楽しそうに本当の自分自身として生き生きと過ごしている様で…

そんな楽しい幻想から覚めると、待っているのは、無駄にデカくなった身体と、ただベットの上に転がっている、
成長を自覚できていない
自分自身だけで…。


そればかりか、ドアの前へと立つ事すら
違和感を覚えてしまう。

『このドアこんなに小さかったっけ?』などと、ドアノブに手をかける時に、
感じてしまうのだ。

前よりも低くなったドアスコープに、屈んだまま顔を合わせて、
初めてハッとさせられる。

違う、私が成長して、気づかないうちに身長が伸びて大きくなっただけなのだ。

そう思った後、自分の長くなった手と足を、未だに自覚しきれて居ない事に気付かされる。

この中身、精神年齢の低さ…主観年齢と言うものと、自身の本当の年齢の隔たり…大きな差…

バグの様な、自身の等身大の想いは…
過ごしていたらいつか消えるのだろうか、、


いや、きっとこれからも自身が自覚している精神年齢と、実年齢の埋められない差は、今よりも開いていってしまうのでは無いかと悩んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?