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人に好かれる優等生タイプの同性の友達が苦手だった話


私がこの話を書こうと思ったのは、未だにその子に対して思う事があると言うか…
気持ちの折り合いがついていないから。

ずっとモヤモヤしていて、かと言ってその子の悪口が書きたい訳でもなく、
でもただただその子に対する『どうにも出来ない苦手意識』があった。
本当は、その子に対し苦手だと思いたくない部分もあるからモヤモヤし続けていた。

ここに妬みが書きたい訳でも、その子を妬みたい訳でもない、本当にこう思った人は今まで居た事がなかった為、こう言った感情にどう向き合っていいのか分からず、ずっと心に重くのしかかっていた。

そんな気持ちをブログに綴って「どうしてそう思ったのか」を自己分析し、気持ちを紐解く事によって今日は、とことんその事に向き合おうかと思った。

また読んでくださっている方の中で、似た様な経験をした方も…もしかしたら共感できる部分があるかもしれない。
(※自分の醜くてドロドロした心理的な部分や嫉妬などを、淡々とした言葉で俯瞰しながら綴ってます。苦手な方はカムバック)

ー経験談ー

⚪︎私の高校時代の時に、どこまでも優しい優等生のYちゃんと言う同性の女の子が居た。

Yちゃんとは最初のクラスが一緒で、最初はたまに話す程度だった。

でも、そこからしばらくして共通の友達を通して仲良くなり、趣味が合った事もあり2人で遊ぶ事もあった。時折その子の家に遊びに行く様な仲でもあった。


Yちゃんは、クラスのマドンナ的な人気者と言うよりも…接した相手から好かれるタイプの人格者的な人気者で、
誰にでも分け隔てなく人に接っする優しいタイプの子だった。

勿論Yちゃんと喋った事ある人で、Yちゃんの事を「嫌い」だとか「苦手」だと言ってる人を、あまり見たことがない感じの、本当に絵に描いたような非の打ち所がない同性にも好かれるタイプの良い子だった。

でもそんなYちゃんは、時折人に対して凄く気を遣っている様な…それで言ってたまに「人に無理して合わせていて、本心じゃないのかも…」と思うことが、大人数で接している時に何回もあった。

Yちゃんが、人と接している所を見て凄く空気を読む子だと思った。

雰囲気が悪くならない様にと、その場で
冗談っぽく笑って流してるけど、
我慢して無理した顔をしている事に、
気付くことが何回かあった。
(私はそれに気付いていたのかもしれないけど、甘えていた。その場で気付いて、すぐにフォローを入れられなかった事を考えると、本当に申し訳ない事をしたと思う。)

当然そんなYちゃんは先生からも好かれていて優等生として認知されている子で、たまに図書館で勉強したりしてる所を、見かけたりしていた。

もちろん同性の女の子からも凄く好かれていて、気遣いのできる人でそれとなく人をフォローするのが上手く、褒め上手で人を喜ばせようと話題を自分から積極的に振っていて、盛り上げたりもしていた。

その時の私は、傍目から見てYちゃんの振る舞いや姿勢などが、全部が全部完璧に見えていた。完璧な人はいないと言うが、私はYちゃんの事は、それに近しい人格者なんじゃないかと思っていた。(きっと本人から見てそんな事はないと思っていそうだが)

と言うよりも、陰で相当努力して完璧に振る舞っている子だった…その事に本当は、気づいていた。

Yちゃんは「容姿に自信がない」と場の空気が悪くならない程度に、サラッと会話に混ぜて言っている事があった。

そのうちに、お泊まりする仲になったり、
仲良くなるにつれYちゃんの自身の容姿に対して自信がない部分が見えてきた。

それをコンプレックスにして終わらせるのではなく、克服する為に『性格や化粧、立ち振る舞い、言葉遣い、気遣い、雰囲気を悪くしない様に心がけている所、人に寄り添う部分』として、ストイックに別の分野でカバーし、努力している部分まで見えて来た。
今までそう言うところを、頑張りながら培って来たんだなとそんな部分が接するうちに度々垣間見えた。

こんな努力家な部分を知っているにも関わらず、苦手だと思ってしまう自身は、どうしようもないクズで自分勝手の最低野郎だと思う
皆その子に対して目に見えた「好意」を持っていて。
Yちゃんの振る舞いや努力が伝わっていて、そんなYちゃんの誠実な部分を見て好意を持つんだろうなとも思っていたし、理解していた。

私は、Yちゃんのそんな良い子で努力家で繊細な部分を知っているにも関わらず、『正直苦手』だと、思ってしまっていた。

否定する所のない、自分から見て完璧に近しい良い人(Yちゃん)を目の前にして、皆Yちゃんに対して肯定的に接しているのに、私だけは変な嫉妬心で肯定できないのが、全て身勝手な事だけど、より惨めだった。

今だってそのYちゃん自身の事を思って「肯定したい」「好きになりたい」と思えてない所に…自分は身勝手なエゴだらけで、自分中心の醜さが詰まっている。

私はYちゃんの『人に気を遣ってない所』を見た事がなくて。本当に私は、Yちゃんのそう言う人として『完璧に近いし無理した部分』も、酷く苦手だった。

(そもそも完璧に近しい人や、きっちりしている人に苦手意識があった。その人の前では私も同じ風に、『ちゃんと』しないといけない…って少なからず思う事や緊張感がある。)

•私の中でだが、勝手に「Yちゃん」と言う人間の『お手本』を示されている様で、
誰もそんな事言ってないのにも関わらず、Yちゃん自身もそんなこと思ってないと思うが…
Yちゃんみたいに振舞わないといけないと、身勝手に思ってしまう事が私には、あった。
周りのYちゃんへの対応を見て、自分自身が勝手にそう言う思考になってしまう事が凄く嫌だった)

私は…と言えば、Yちゃんとは文字通り真逆で、
Yちゃんみたいに、人に対する愛嬌もなければ繊細に人と接する事も出来てはないし。
1人でいる子に、寄り添える程のコミニケーションもなかった。
(人に寄り添ったら寄り添ったで、寄り添い方が悪くて見事に人の地雷を踏んでいた)

感覚のズレもあり(前記事にも書いた通り)思った事を素直に言ってしまって、人の地雷を踏み傷つけるノンデリの、どうしようもないクズ人間だった。

今だからこそ思うが…
Yちゃんと接している事で「そう言った自身のコンプレックスを刺激されたり、対比で自分のクズな部分が浮き彫りになっちゃったりするのが無意識に嫌」だったんだと思う。

当時は『Yちゃんに対しての、言われのないモヤモヤ(苦手)』として
Yちゃんを見てコンプレックスを抱いちゃうから苦手だと言う感情に、あまり自分で気づけてなかったけど…

無意識にそう感じ取っていたから、苦手だったのか…と最近改めて思った。

⚪︎人格者のYちゃんと私では、天と地ほどの差があるので当たり前だけれど、
自分とYちゃんに対する周りの人の『対応の差』みたいなものにも気づいちゃって、これもたまらなく身勝手だけど、毎回その事を気にしてしまうのも本当に嫌だったんだと思う。(そう感じるなら、自分もそう思えないくらいに努力しなければいけないのに…)

そこに気づいてからは、どんな時でもYちゃんとの性格や人格、周りからの差、振る舞いの違いを意識してしまい。
毎回Yちゃんの近くにいる度に、
『自分の悪い部分が浮き彫りになって行く事と、Yちゃんを通して自分の見たくないコンプレックスなどに向き合わされる所』が苦手だったんだと思う。

(Yちゃんは、私にとって鏡みたいな人だった。自分(ミチヅ本人)の悪い部分を映し出す鏡。
Yちゃんと接していると、Yちゃん自身と向き合っているはずなのに、自分の悪い部分が浮き彫りになり
まるで、自分の悪い所だけが映し出される鏡を、見ている気分だった。
向き合っているとまるで、悪い所を探しだしてくれる自動の内視鏡みたいな存在でもある…)

【朱に交われば赤くなるの、真逆なのかもしれない…。
それから、良い人の側には良い人が集まるって本当なのかもしれない。精神年齢が上というか…
レベルの同じ人同士、類友が集まるみたいに…。だからレベルの低い私はYちゃんの近くにいるのに耐えられなかった可能性も…

これは、私の感覚で例えだけど、

白いシャツに、汚れがつくと目立つみたいな感じなのかなと思った。

白いシャツが、性格が良くてどこまでも真っ白なYちゃん。
白シャツについた汚れが、私自身。

白いシャツに汚れがつくと、目立ちやすいのと同じで…

その白シャツについた汚れ(自分のダメな所)に、気付きやすくなるみたいな…ダメなとこが、浮き彫りになるんだね。きっとそんな汚れは、些細なものだったとしても周りもそれに気づくし、見てて分かりやすかったた思う】

そんな風に、未熟で身勝手な私はYちゃんに対する身勝手な劣等感を、どうにも出来なかった。
(ここまで、ちゃんと読んでくれた人に伝えられてるか分からなくて、こう言ったモヤモヤを言語化するのは本当に難しいと感じている…)

ここまで言っておいてだが、本当はYちゃんの事を苦手だと思いたくもない。
私もその子の事を、「友達として好き」だとか、「努力してて凄い子」だという風に接している時に素直に肯定したかった。
だけど結局「苦手」なままで、本人に対して素直に褒める事も肯定も出来なかった。今でも何故か心の何処かで引きずっているぐらいには、苦手意識がある。

ただ分かるのは、Yちゃんの「人に対する優しさ」や「気遣い」は圧倒的過ぎて私にはYちゃんの様に振る舞うことも、接することも出来なかった。

烏滸がましい話だけれど、第一に、
その子が周りと築き上げて来た信頼とかは、私なんかじゃ到底達せれないものだと理解していたから尚更だったし、雲の上の人だと思って身近に思えずに憧れを通り越してた。

そんな中頭によぎった言葉があった
『どんなに人から好かれている人でも、嫌ってくる人はいる。皆から好かれる事は無理なんだよ』
そんな言葉を聞いた事がある、Yちゃんは確かに皆から好印象で好かれていたかもしれないけど、そんな好かれるYちゃんでも嫌う人や苦手だと思う人がいるんだなと思った。

あんなに完璧に優しいYちゃんの事を、「嫌いや苦手だな」と感じている人の中に、私も入っているんだなと…その時により自覚した。
でも、正直な所苦手意識を持ちたくなかった。

本当は苦手だと思いたくなくて、好きとして接したかった。皆「好き」って言っているのにYちゃんに対して好印象なのに…こんな良い人を「苦手と思うのって変…」そんな事ばかり思ってた。

私も、優しくしてもらった事が何回もあった、だから余計に苦しかった。「最初から最後まで私にとって嫌な奴で!嫌いな人だと思えたら…」いっそ楽に『苦手で、合わないから争いも避けるために関わらないでおこう』と思えたのかもしれない。でも本当にいい子だった。

ただやはり、そんなYちゃんの苦手な部分と本人が努力家で一生懸命な良い奴だと、分かっていても、Yちゃんへの嫉妬や苦手意識は抑えられなかった。

そうして接して行くうちに、いつのまにか他にも理由が出来、Yちゃんに、対する嫉妬心は別の意味で加速していった。

そして私はその「嫉妬心」が自分にとって地雷で…どうしようも出来ず、思いっきし拗れていた。

【※ここから更に別の意味で、Yちゃんに嫉妬を抱いていた話:番外編でドロドロした話なので苦手な方注意(疎外感編)】

⚪︎そんなある日私にはYちゃん以外に、
高校に入って同じクラスで1番最初に仲良くなった、とっても仲の良い親友だと思っていた女の子がいた。

そして、その同性で1番の親友だと思ってた子が、Yちゃんと仲良くなる事で、
Yちゃんにとられた。
(友達をとられたという表現は、適切じゃなくて可笑しいかもしれない。ただ取られた以外で伝えやすい、伝わりやすい言葉と表現が今の時点で分からない。のと、余裕のない私の主観だった)

私から見て、親友だと思ってた子は出会って2年程の付き合いだったけれど、
それでも私からしたら唯一腹を割って話せる相手であり、一緒にいると凄く楽しかった。
私自身珍しく人に興味が湧き、何故か寄り添いたいって思えるタイプの子だった事も関係していると思う。

だから、その1番の親友だと思っていた子からたまに八つ当たりや理不尽な扱いを受けても、その時は別に気にならなかった。
今考えると、歪んでいるけどむしろ「親友からのちょっと過激な正論と、ツッコミ!!そう言うタイプの人、そう言う性格も良い」と軽く思っていた。
(その親友に対して恋愛の意味で好きだったとかそう言う感情は無かったと思う、
でも腹を割って話せると言う意味では、自分にとって凄く大事で、特別な存在だった。本人には死んでも言わなかったと思うし、言ってなかったけど)

そんな風に内心思っていたので、尚更
取られた事が、悲しくて。
親友だった子が楽しそうに「Yちゃんとね、この前2人で遊んできた!」「Yちゃんが可愛くてね…!推しかもしれない…どうしよう、もう本当に可愛い…Yちゃんの写真、スマホの待ち受けにしちゃった!」とか言う話を、1番の親友だと思ってた子の口から聞かされるのが嫌で、「私とは遊んでくれないし…2人でいる時に呼んでくれないんだ…」と、どこか疎外感を感じて凄く悲しかったし、急激に距離が近づいて仲良くなって行く2人に、内心はすごく嫉妬していた。
(平常心装って、本人達には言わなかったからバレてたかは知らない…多分2人は気づいてないと思うけど)

今思えばだけど、
元々親友だと思っていた子は、私と友達になる前は同性よりも異性と付き合う方が楽な感じの子でそんな中やっと仲良くなれて、Yちゃんよりも長く接していた部分があったので余計にショックだった事を覚えている。

(そんな風に思った事も、嫉妬も含めて、
親友本人に言えたら…きっと今みたいに疎遠にならなかったかもしれないし、
ちゃんと言葉にして言えたら良かったのかもしれないけど…素直にそう言った気持ちを伝える人として、親友に接する事は最後まで私には出来なかった。

自分のそう言った気持ちを相手に面と向かって言葉で伝えるのが苦手で、凄く怖かった。

伝えたとしても、いつも伝わらず、想いが曲解されて「ミチヅ(私)の考えてる事、分からない!!!!」「行動と言ってる事が、矛盾してるんだよね…」と、毎回相手に言われ、喧嘩になって終わるだけだった。
それが嫌で、分かってもらえないのも悲しくて伝える事を避けていたし

頑張って話してみても、話した人に「その感覚が分からない」「どういう事?そんなことある?」と言われていた。
そんな事ばかりで、私の気持ちや考えている事は、誰にも理解されないんだ。分かり合えないのかもしれないと、謎の孤独感があった。
ずっと生きててそんな事ばかりで、高校の頃もそんな事がよくあり、相手に対して自分の気持ちを『言葉にして伝える事』に疲れていて、諦めていた。)


その親友だった子からしても、私は「言葉で素直に思っている気持ちを伝えられない、可愛げのない人」だと見えていたと思うし、そう思われていたと思う。

「何考えてるか分からない」「図々しいガサツなタイプ」「おちゃらけた人」だとも言われていた。私自身も自分のことをそう思う。
(本当に心開いた人や気を、許した人に対してより拍車がかかって、そんな風にどこか油断して接してしまうのと、実際に自分はズレててノンデリな部分があると自覚している…)

私は元々本当にそう言うタイプだけど、親友だった子と接していて、そっちの方が親友も私も心を割って話せる気がしたからキャラとしても、「こう言う時きっと今の私はこうする!」と過剰に、そんな大雑把な振る舞いばっかりしていて、それを貫き通していくうちに戻れなくなっていた。(正直友達に、甘えていた…)

そして、親友の『Yちゃん話』を聞くうちに、何気にYちゃんとの扱いの違いや対応が私に対してとは、全然違っている事に気付き。
私は思ったよりも親友に雑に扱われているんだ…と言う点でも、悲しかった。
親友は、Yちゃんには特別に人一倍優しかったから尚更…。
(でも今更私もYちゃんみたいに、親友に接することができないし…相手からした自分の印象なんて1度こうだと思われたら、変えられないもの、だとも思っていた)

ここまで言っておいてだけれど、私自身
本当はそう言う『友人関係の間で嫉妬心』を抱いてしまう事が大嫌いで、大の苦手でそんな嫉妬だらけの心境に耐えきれなかった。

「親友を、取られた」って言い方も、本当はしたく無い。ここまで言っておいてだけど「取られた」と表現するのは、感覚として少しおかしい気がしている。

勝手にそう「とられた」と感じてしまっているのも、何だか『女友達同士の悪い部分』やドロドロした部分が出てて、そう言う嫉妬心丸出しの自分が好きじゃない。

1度「嫉妬」だと声に出して認めたら止まらなくなりそうで、誰にもそう言う気持ちを話せなかったし。
そう言った友達に対して嫉妬しちゃうという、面倒くさいメンヘラな部分を、周りに悟られたく無かった。
ずっと「友達に対して、すぐ嫉妬する面倒くさい自分」を誰にもバレない様に、今まで振る舞ってきた。

そんな中、
他の共通の友達に「ミチヅ(私)の親友ちゃんとYちゃん、最近めっちゃ仲良くない???(いいの?と言う顔で)」
と、聞かれ

その都度
私「あぁ!仲良いよねー笑笑2人は、きっと気が合うんだろうねー!良い事!!笑笑」
と、誤魔化していた。(本当に2人に対してそう思ったがその分、仲の良さに凄い妬いていたけど、それを他の友達にも悟られない様平然としていた。あほすぎる…笑)

その小さな積み重ねで苦しくなって、どんどんその状況に耐えられ無くなっていった事と
2人に対する、
『これからもっと2人の仲は良くなるんだろうな…気も合ってるし…』
私のそばでも、私のそばじゃなくてもきっと

「その仲のいい2人は、私との関係以上に、友愛や親友として長く関係を続けて仲良くなっていって、いずれ腐れ縁と呼び合える1番の仲になっているのだろな…」と言うのが、
2人の態度から目に見えて浮かんだ。
(本当は正直に言うと私もそうなりたかった、でも私の印象は悪かったし1番仲良い存在にもなれないと思った)

会話からもそれらの事が、意図も容易く分かってしまった。(そう言うのに、気づいて考えちゃう自分も嫌だった)

小さい頃のそう言ったトラウマにもずっと悩まされてきた。小学生の頃も私は友達3人で遊んでいて、仲良かった子を取られたことがあり、そう言うのが凄くトラウマだった。
(まるでその時を見てるみたいで、繰り返して、また友達に対して嫉妬ばかり抱いてしまう。そんな事をずっと密かに思っていた)

この先、その2人を見続けたら嫉妬のあまりYちゃんや親友だった子に、酷く当たってしまうと思った。
(実際正直な所、高校で我慢出来ず、また小学生の頃みたいに蚊帳の外みたいに扱われて仲間外れになっちゃうのかなと思いながら、2人の仲良い姿を見て、授業の移動教室前の休み時間に我慢できず馬鹿みたいに泣いてしまい、1人保健室へと逃げた事があった…。
その時、親友もYちゃんも私が泣いた所を見ていたけど。きっと「2人が仲良すぎて不安になって疎外感で泣いた」と言う理由には、気づかなかっただろうし、次も授業だった事もあり1人教室に置いて行かれた)

そんな中自身が泣いてる時に、話しかけられもしなかった事で、心配だとも思ってもらえなくなったんだ…と思い余計に辛かった(完全に、ヘラってしまっていた。)

それが最後のきっかけで一緒にいて、もっと辛くなるなら…と、卒業間近で耐えられず2人とは実際に縁を切ってしまった。

(最後まで2人に本当の気持ちを言えなかったし、私も最後はやっぱり自分の耐えきれなかった嫉妬心と痛みを優先してしまって、縁を切ったから、最初っから友達とは呼べなかったのかもしれないけど…)

全部身勝手だけど、その事もありYちゃんの事や親友だった子の事が、未だに私の中で引っかかっているかもしれないし。
一方的に嫉妬心を持っていて、その事についても本人に腹を割って話せなかったので、
Yちゃんに対しては特に蟠りがあるのかもしれないと思っている。(優しすぎる部分は、やっぱりどうしても苦手だけど…)

⚪︎ただ、今になって冷静に思う事があるとすれば…

Yちゃんに親友を「取られた」ではなく。
客観視すると

親友だった女の子が、人格者のYちゃんの事を性格的な面で好きになり尊敬していたって言うのと、

勿論当たり前だけど、親友は誰よりも好感を抱いたYちゃんに興味が湧き、もっと仲良くなりたくて優先しただけの事だったんだろうなと思う。

(それに、努力家で礼儀正しくて誠実性のあるYちゃんの事を親友だった子が気に入らないはずがないと思った)

でも私にとって、その時はその事が堪らなく恐ろしく感じていた。そんな事はないのかもしれないけれど、私はその親友に好かれている自信もなくて…こっちが勝手に仲良いと思ってたのかもしれないし、
これも勝手だけど、親友との間で築いた友情や時間とかがすり減っていく気がして、焦ってしまっていたんだと思う。

これが全部わたしの身勝手だけど、未だに思い出してモヤモヤしてしまう出来事。

元々自分は、嫉妬しやすい性格なのもあるけど自分の性格的にも、友達に好かれてる自信もないかったから「2人が仲良くなると、疎外されちゃう」と余計に思っていた訳で…

きっと…そんな「人に嫌われる」という心配事を考えられなくなるぐらいに、自身が人格者になれば…余裕も出て少しぐらい嫉妬心が弱まり、気持ちが軽くなったりするのかな?と思っている。

人に嫌われる心配とは無縁な程の人格者、それが難しいけど…
(こんな縁切りが、二度と起きない様に…)

⚪︎最後に、Yちゃん達と関わった事は私は嫌な出来事だったとは思っていない。
そんな言葉で片付けたくもないと思った、最終的には身勝手な私のせいで、最悪な形になって終わらせてしまったけれど…
2人と接したことで、自分の悪いところや、そこから得た学びや気づきが今思い返すと沢山あった、むしろ2人に出会わなかったら学びにもならなかったし、私はずっと自身の足りて無い部分に気づけず、生きてただろうなと思っている。あの経験は、学びだったり気づきとして、凄く有難い事だったのだと
それは、きっとこれからも。

私は形式状、もう立派な大人な分類に入っているのかもしれない…
ただ私自身大人に相応しい人でなく、中身は全くその事実に伴っていないと焦ってしまう事もあるが…自分のペースで、こうやって過去を振り返り、少しずつ自分の悪い部分を見つけ改善していきたい。

ーーーーーーーー

⚪︎最後に、こんなドロドロした長文をここまで読んでくれた人はいたのだろうか?(もしかしたら、いないかもしれない…笑笑)
もしいたとしたら、ここまで付き合って読んでくれてありがとう。
もし、読んでいて暗く嫌な気分にさせてしまったのならごめんなさい。

私は、きっとだがモヤモヤした気持ちを言語化してブログに書くことによって、ようやく物事に対する気持ちの整理が出来るんだと思う。

『自分の気持ちをその場で言葉で相手に伝えられない私』にとっては、それが必要で…。

そうする事でより客観的に、人との関係や自分の過去や過ちを振り返り、悪かった部分と改善点を見出せるのだと改めて思った。

そんな中、読んでくれた人が興味を持って、『日常のついで』として本文を見てくれる事があったら嬉しいと思っている。
改めて最後まで呼んでくれた方がいたのなら、ありがとう。

-夜道ミチヅ-

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