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孤独について

私は、孤独である。
孤独とは、一人でいることではない。
大勢の人の中にあっても、孤独である。
むしろ、一人でいる時より、大勢の人々といる時のほうが、より強く孤独を感じる。

孤独とは、一体、何であろうか。
正直、私にも、その正体は、分からない。

私は、詩を書いている。
詩は、一人で書くものだ。
たとえ、連詩であっても、書いている瞬間は、一人である。
しかし、このとき、私は、孤独を感じていない。
ちなみに、今、この文章を書いているけれど、私は、孤独を感じていない。

では、どんなときに、孤独を感じるか。
それは、詩や私の考えが、理解されない時にである。
その時、私は、世界中で、たった一人であると感じる。
つまり、孤独を感じるのだ。

逆に言えば、一人でも、私の詩を理解し共鳴してくれる人がいれば、
私は、孤独をさほど感じなくてすむのかもしれない。
しかし、全く、孤独が消えることはない。

なぜなら、死という現実が現前とわたしの前に立ちはだかっているからである。両親は、死と私との間にあって、いわば、衝立のような役割を果たしていた。しかし、両親が他界すると、衝立はなくなり、死への不安と恐怖が、突然、襲いかかってくる。
死に対しては、人は孤独にならざるを得ない。
どれほど、愛した人でも、一緒に死ぬことはできないのだから。

孤独を癒す方法として、日常生活に埋没し、死を忘却する方法がある。
これは、多くの俗人が取っている方法である。

しかし、芸術家には、この方法は取り得ない。
自己隠蔽してしまえば、私の場合には、本物の詩は書けなくなるからである。だから、苦しくとも、死と向き合い、孤独に生きるしかないのである。それが、芸術家、詩人の生きざまといえるだろう。

自己隠蔽して詩を書いている者など、詩人の名に値しない。
これが、私の孤独についての考えである。

最後に、芸術家と酒との深い関係について、述べておきたい。
酒は、孤独を癒すのだろうか。
結論から言えば、あるところまで、酒は孤独を癒してくれる。
中原中也をはじめ、多くの詩人、昭和の大スターのなど枚挙にいとまがない。
しかし、酒は孤独の最終的な解決法にはならない。
やはり、孤独は、孤独でしか癒すことはできないのだ。

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