芸術家と酒

今日は、芸術家と酒について、話そうと思う。
芸術家には、酒乱と呼ばれる人が多々いる。
代表的なのは、画家フィンセント・ファン=ゴッホ。
彼は、アプサントという麻薬に近い酒を、毎日煽るように飲んでいた。
そして、片思いの恋人に会いたいために、彼女の家の玄関のガス灯に手をかざして「この灯に手をかざしている間だけでも、会わせて欲しい」と言って、家人に追い払われている。
また、ゴーギャンとの決裂の後、自らの耳を切り、娼婦に届けるという、いわゆる「耳切り事件」を起こしている。
これは、推測だが、すべて酒に酔っての所業ではないだろうか。

また、昭和の大スターに目を向けても枚挙に暇がない。
石原裕次郎は、テレビのワン・シーンごとに、缶ビール1本を一気飲みしていたし、撮影終了後も、ビール1ダースを飲み干してから、ウィスキーのロックなど、アルコール度数の高い酒を、毎夜が夜が明けるまで飲み続けていた。そのため、51歳という若さで夭折している。

また、美空ひばりは、毎夜ブランデーをボトル2本、飲み続けていた。
「ひとりぽっちにしないでおくれ」(「悲しい酒」)が、彼女の心の奥底にあった心情だったのだと思う。彼女も、石原裕次郎と同じ51歳という若さで夭折している。

勝新太郎は、酒代に年間1億円を費やしていた。毎晩、はしご酒を繰り返し、道端で出会った人をすべて引き連れて、店を転々と渡り歩いた。酒代は、すべて勝のおごりである。病を得てからも、酒とたばこを絶つことはなかった。石原裕次郎や美空ひばりよりも、長命ではあったが、60歳代でこの世を去っている。

このように、芸術家と酒は、切っても切れない関係にある。
では、なぜ、偉大な芸術家は、酒に溺れるのか。
それは、図らずも時代を背負うことになったプレッシャーとそれがもたらす孤独によるものと考えられる。
芸術家は、圧倒的な才能を持つ。いや、才能を与えられる。常人には見えないものが見える。だから、世俗とは通じ合えない。それゆえ、孤独なのである。その孤独を紛らわせられるのは、酒でしかなかったのだ。

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