歩道橋問題(2023年の自由261)

「問題かええ」
えーとな。まず君が居丈高なのが意味分かりません
出した命題は三次元の地球人が受け取って考えるレベルの問題です。君に都合のいい問題なんかじゃ、考える足しになりません。倫理の思考実験なんよ?

さて、何があったか
「大変でしたね」
そそ、改心組の高次元人に「君、デブ押すん?」と聞かれました
歩道橋問題です。歩道橋問題とは、あなたともう一人大柄な人が歩道橋の上に立っています。電車が走ってきます。その先には工事中の人が5人います。大柄な人を押して電車に飛び込ませれば、電車は止まります。電車は前の5人に気付けません。あなたは大柄な人を突き落として、5人を救いますか?それとも、5人を見捨てて、大柄な人を押しませんか?
という倫理的命題

一見すると義務論と功利主義の問題に見える
これ、嫌らしい問題なんだよね。5人という中途半端な数。積極的殺人。功利主義を貫くなら、デブを落とさないといけない。義務論を貫くなら、5人を見捨てないといけない。こういう問題な訳だ

ちなみに、トロッコ問題で功利主義を唱えていた人も、多くがこの問題の場合義務論派に傾きます。内容としては、臓器くじに近い訳だ。健康な一人を犠牲にして、病人5人を助けるかって問題。に見える訳

僕も、押したくなかった。で、僕が最初に出した回答は、デブと一緒に代替物を探す。というのが最初の解答でした
実はこの問題。第三の選択肢があるんですね。結局、思考実験の果てとして僕が満足いく回答は出ました。服を着ていないということはあり得ない。荷物もあるかもしれない。となると、デブと手分けして、片方には電車に服等で手旗信号を何とか送る。もう一方が、工事現場の方に何とか伝えようとする。それでもダメな場合はやはり事故と考える。という結論に至りました
丁度、現場は功利主義に埋もれてはいけない。理想は全員を救う事だ。この理想を追える隙のある問題だった訳です。これは功利主義か義務論かという論戦の前の大前提、理想を追えるという問題だった訳です

現場は現実が積み重なっている以上、悲しい事ですが功利主義に傾く訳な訳です。理想と現実は違うからね
だからこそ、理想が大事という事を今回のテーマで伝える事が出来ました。功利主義か義務論か。これはこれらのテーマの必然のように見える。功利主義か義務論かで議論してるとどっちかしか見えなくなる。でも、本当の理想は全員助かる事だよね。っていう隙があった訳です

その為、功利主義だけではファシズムになってしまうという、僕の主張の補完に丁度良かった訳。理想を失ったら堕ちるよって話。本来の君等が現場に立っていたなら、僕と同じような事を思いつく筈だ。だけど、議論に埋もれる、功利主義に埋もれると本当はあった筈の第三の解答が見いだせなくなる。という話だった訳です。これが功利主義に埋もれ切らず、理想が後ろに控えてないとダメだっていう意味

本来あった筈の解答が主義に傾き過ぎるとなかった事になるって話

まあ、勿論、この議題を出した人の問いたかった事は別の事だと思う。だけど、今回の僕の解答は、理想が後ろに控えてないと間違うよって事を証明するのに丁度良かったという事

で、下界の変な低次元人がちゃちゃ入れてきたんだよ。あいつら、いい加減にして欲しいわ
「まま、そんな人も減ってきましたし。改心組の人にメッセージは出せたので良しとしましょう」
だね。お互い成長していこうね

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