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「好き」が伝染するということ。


好きは伝染する」とよく言う。


「推し」でも、おすすめの映画でも、何でもいい。
自分の「好き」を語るだけで、聞いたほうも「なんだか良さそう」と感じるとか。

確かに、そういうこともある。
でも、「好き」を語られたその時点では、すぐに伝染してこない。
わたしは、できない。

たとえば。
「◯◯くんかっこいいで!」と推しの話をそれても、すぐ確認しない。
「この映画オススメ」と勧められても、なかなか観ない。
イヤなやつだな。
でも、ほんとうなのだ。
むしろ、「絶対見たほうがいいって!」とか、「人生損してる!」とか言われるほど、抵抗したくなる。
天邪鬼なのだ、かわいくない。



じゃあ、お前はいつも他人の「好き」を受け止めないのかと言われれば、そうではない。

「タイミング」があるだけだ。

誰かの「好き」パワーを受け取ったとき、すぐには味わおうとしなくても、後々ふと、その味を知りたくなる時が来る。
それは、数日後かもしれないし、数年後かもしれない。
わたしが自ら、「見てみたい」「聴いてみたい」とおもった、その時が「タイミング」だ。



やはり、どんなものでも「好きだ好きだ」と何度も言われたら、自然と心の片隅に残っている。
ふだん、アイドルに興味はなくても、ふとテレビに出てきて、「ああ、◯◯さんが言ってた人やな」と思い出したり。


そして、ふと気まぐれに、ほんとうにたまたま、それを「浴びてみよう」とおもう。
「そんなに良いなら、一曲聴いてみるか」と、アイドルの歌をYouTubeで検索する。
「そんなにオススメなら、冒頭だけでも」と、アマプラで映画を探す。

そして、浴びる。
音楽、映画、本でも、なんでも。


すると、どうだ。
人から聞いたときは、大して興味も持てなかったのに、自分のタイミングで浴びると、「めっちゃええなあ」と心底好きになるのだ。

誰かの「好き」パワーが、ようやく自分に届くのは、ここだ。

相手からすれば、「だから言ってるじゃん」とおもうだろう。
でも、そのときはピンと来ないのだ。

「好き」は、あとあと効いてくる。
「好き」の伝染は、時間がかかるのだ。
じわりじわりと心の一部を乗っ取って、いつのまにか行動までコントロールして、その人をすっかり虜にしてしまうのだ。

◇◇◇


最近だと、「本」がそうだった。

もともと、「本」というものが好きだった。
美しい表紙、ザラリとした手触りや重み、紙をめくる瞬間、本棚に並んだのを見つめる時間。
でも、いつのまにか、「即使えるか」や「役に立つかどうか」ばかりに目を取られ、そういう目線でしか「本」を見れなくなった。

「本」は道具になってしまった。

でも、この一年で島田潤一郎さんに出会い、本が好きな方々の言葉を浴びるようになった。
すると、だんだん「本」そのものが美しいと思い出せるようになった。
「本」そのものに、愛着がわいてきた。
そうなると、本屋巡りも、本の装丁を眺めるのも、楽しくて楽しくて仕方がない。
「本好き」さん達の「好き」パワーが、わたしに伝染してくれたおかげだ。



音楽でいえば、藤井風さんがそうだ。

もともと、母が大ファンで聴いていた。
でも、母に強く勧められても、「たしかにいいけどそこまでは‥」という温度感。
繰り返し聴くには、至らなかった。

しかし先月、ライブの生配信があって、それを見た。
そしたら、ようやくほんとうに「好き」になってきた。
自分で「好き」を手に入れた感触。
そこからは、上がっていた動画を見たり、英語にまで興味が広がったりして、どんどん「好き」が広がっていった。

ついには、藤井風さんが「くらった」とか言っていた映画まで観た。
話題になっていた『BLUE GIANT』。
今さらかよ、という感じだけど。

これも、前から母が勧めてくれていたんだけど、観なかった。
でも、「タイミング」が来たから観てみたら、これまた、めちゃくちゃよかった。
ずっとサントラを聴いているくらいに。
「好き」が伝染した結果だ。

◇◇◇


「好きが伝染する」なんて、簡単に言うけど、そんな簡単には伝染しない。

語るだけで、その人もそれを好きになってちゃあ、単純すぎる。
でも、それが出発点になって、その人なりの順番とタイミングがあって、自分の足で「好き」にたどりつくことはきっとあるから。

だから、皆さん。
「好き」なものがある、皆さん。
もっと「好き」を語ってください。

わたしはそこから、パワーをもらって、一旦心に蓄えておきます。
そして、自分のタイミングが来たら、それを思い出して、浴びてみます。

わたしに「好き」を伝染させてほしい。


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