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「家族」っぽい。

わたしと夫と息子2人で、公園を走った。

芝生の広場のむこうに小さな丘があって、そのいちばん上から下のベンチまで競走。
「よおい、どん!」のかけ声で、ダダダッと勢いよく走りおりる。
いつも、わたしと息子だけでやっていた。
そこに、今日は夫が加わり、これまた一段と盛り上がった。


長男は、何度も何度も、「もういっかい」とせがんだ。
「位置について、よおい、ドン!」と叫び、いきおいよく駆けだす。
それにつられて、次男も走り出す。
夫は、ビュンと猛スピードで走っていくので、それだけでもう息子たちは「きゃっきゃ」とはしゃいで大喜びだ。

わたしは、ちんたらちんたらと、力を抜いて走るので、いつもビリ。
「お母さん、4位です~」と、長男が言う。
「あちゃ~、ビリか~」と返す。
そしてまた、くりかえし。

何回くらい、やっただろう。
10回は走ったんじゃないだろうか。
幸い、天気は曇りだったけど、空気は相変わらず蒸し暑かった。

息子たちは疲れると、ゴールになっていたベンチに座り、がぶがぶとお茶を飲んだ。
それだけで息子たちは、一気にHPをマックスまで回復。
先ほどまでのことがなかったかのように、「競争しよか」と言い出す。
夫が、だんだん文字通り「ヘロヘロ」になるのを横目で見ながら、それでも4人で丘をのぼる。

ああ、「家族」だな、とおもう。

今日は「家族」っぽいことをしている。
この感覚は、たまにあって。
4人で「くら寿司」に座り、おすしを食べているときとか、海水浴でみんなで波に揺られているときとか、お出かけの帰り道にワイワイしゃべっているときとか。
そういうときに、「家族」を感じる。

べつに、わたしたち4人は特別なことをしていないときも、「家族」だ。
わたしにとっても、夫にとっても、息子たちにとっても、「家族」であることにはまちがいない。

ただ、わたしは、わたしの想像する「家族らしい」イベントに4人で身を投じたとき、「ああ、家族してるな」とおもう。
そして、そんな時間が過ごせたとき、「この4人が家族でよかったなあ」とおもうのだ。


◇◇◇

「家族」につい考えていると、いつも大好きな育児エッセイ漫画・ツルリンゴスターさんの『いってらっしゃいのその後で』を思い出す。


その中に、「ファミる」という話がある。

「ファミる」の語源は、「ファミリー」。
意味は、「家族っぽいことをする」ことを示す。

著者のツルリンゴスターさんのご両親は、「独り」が好きなひとだった。
だから、ご両親と、ツルリンゴスターさんと、弟さんの4人はよく「バラバラ」で行動したという。
仲がよくて、家族でいろんなところに行き、ホームビデオもたくさんあるのに。
どうにも、肝心なところは「バラバラ」なのだ。

たとえば。
実家に向かうときには、各自がひとりで電車に乗って目的地で合流する。
ファミレスでご飯が運ばれてくるのを待つときは、各々が読みたい本や漫画を持参し、無言で待つ。

「バラバラ」家族。
わたしはこの話がけっこう衝撃的だった。
「そんなん、ありなの?」と思う反面、すこしうらやましいとおもった。

「家族」だからって、いつでも一緒じゃなくたって、いいんだ。
なんでも一緒にしなきゃ、「家族」でいられないわけじゃないんだ。

ツルリンゴスターさんの家族ほどバラバラになりたいわけじゃないけど。
わたしも時々、家族から離れて、「独り」になりたいとおもうときがある。
でも、それって薄情だろうか。
そんなふうに、じぶんの気持ちに蓋をしようとした。

でも、「独り」になりたいという気持ちは、ごく自然なことなのだ。
たとえ大好きな「家族」だとしても、ずっと一緒にはいられない。
時々バラバラになって、じぶんだけで過ごして、また帰ってくる場所が「家族」であれば、それでいい。


「バラバラ」だから、不仲なわけじゃない。
「バラバラ」でも、仲良しでいられる。

ツルリンゴスターさんの「ファミる」の話は、わたしの中の常識が覆されたようで、気持ちがふっとラクになった。

しかし、ツルリンゴスターさんの今のご家族。
つまり、夫と息子ふたりと、娘ひとりの5人家族は、どちらかというと「ファミっている」。

毎日「ファミ」ってて、幸せで少し窮屈

それが、ツルリンゴスターさんと、いまの家族との「距離感」らしい。
それもまた、うらやましいとおもう。

そしてわたしも、うちの家族が「ファミ」ってるとき、「ああ幸せで、窮屈だなあ」と感じているのだった。
おんなじだ。
それで、いいのだ。


最近夫がいそがしくて、なかなか4人で揃うことがない。
そんなわたしたちは、意識して「ファミ」っていくのが、けっこう必要なのかもしれない。
「独り」の時間も尊重したいけど、ファミってる時間も、大切だから。


「家族」の距離感。
大切なわたしの宝物、「家族」。

丘のてっぺんに走っていく、息子と夫の背中を見ながら、わたしは彼らのことを「愛おしい」とおもう。
そして、彼らと家族であることに、誇らしさと、ありがたさと、切なさような気持ちが混ざる。

とにかくこの光景を、忘れたくない。
丘を駆けのぼる彼らの背中を、そっと携帯のカメラに収めた。



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