見出し画像

一番残しておきたいのは、子どもの◯◯。




我が子の絵が、どんどん溜まる。
スケッチブックも、謎の折り紙も、どんどん箱に積み上がる。

どうしようもなくなった作品は、写真に残して、お別れする。
何もかも取っておくのはムリなので、大事に愛でてから、ゴミ箱に捨てる。
愛でずに捨てるやつも、あるけど。


携帯のフォルダに、写真も溜まる。
我が子の同じような顔が、何枚も並ぶ。

他人から見たら同じ顔でも、わたしにとっては、どれも宝。
このはにかみ顔も、尖った口のも、半目のやつも、愛おしい。
今、この日の息子は、ここにしかいない。
だから毎日、写真を撮る。



でも最近、意識して残さなきゃならないのは、「ことば」じゃないかと思い始めた。

ふとした時、息子が話す発言は、二度とない。
テレビのことを「テベリ」と言うのも、ピッタリのことを「ペッタリ」と言うのも、誰かに訂正されてしまったら、二度とそれは、聞けないのだ。

ほかにも、「◯◯ってなあに?」とたずねるシリーズ。
答えを知ってしまったら、二度とそれは聞いてこない。

「温泉卵ってなに?」
「時短ってなに?」
「ハーゲンダッツってなに?」
‥何て答えるか、お母さんは悩みます。




子どもはまるで、詩人だ。
思ったことをただ並べているだけのハズなのに、彼等の言葉は純度の高い「詩」になっていく。

「知らない」という心の清らかさが、発言の節々にあらわれている。
美しい、やわらかな肌触りの言葉たち。



だから、それは残しておかねば。
言葉にして、書いておかねば。

わたしは息子の発言にアンテナを張り、おもしろいと思ったら、すぐにメモする。
おかげでわたしの携帯は、息子の言葉でいっぱいだ。


純度100%だなぁ、とおもった発言がある。

「お父さんは、どうして休みの日だけ、動かなくなるの?」

夫はこれを聞かれて、「つ、疲れてるの」ともじもじしていたが、息子は嫌味で言っているんじゃないのだ。

もしこれを、私が言ったら。
そこには「休みの日にダラダラ動かないでいるなんて、いい気なモンやな」という嫌味が込められているが、息子は違う。

ただ純粋に、平日はバリバリ仕事しているのに、休みの日はすぐにソファーで横になり動かなくなる夫の行動が、ふしぎなのだ。
だから、聞いているだけ。
悪意は、これっぽっちもないのだ。

まあだからこそ、その裏のない質問が、夫の心に刺さってそうだけど。



長男の発言を、たびたび携帯にメモしているので、長男自身もそれに気づいたようだ。

先日、レゴで黙々と作っているとき、急にこんなことを言い出した。

「長男ちゃんはね、自分で適当に作ってたら、勝手に何かになってるときがあって、自分で自分にびっくりするねん」。

へえ、自分で自分になんて、おもしろいこと言うなあ、と感心していると、ニヤリ笑ってこちらを向いた。

「これ、携帯に書いといていいよ」

ハイ、書いときます。
長男が協力的なので、宝物はどんどん溜まっている。



いつか、息子が大きくなって、「おいババア」とか言ってきたら、この宝物を見せてやろうかな。
いや、めちゃくちゃ反感を買いそうだ。
やめとこう。

老後に、夫と思い出して、「あの子ら可愛かったなぁ」って言えたらいい。
それか、ひとりで寝る前に読む。

鮮明に言葉を残しておくほど、思い出せる息子の顔も、きっと色濃く鮮やかなハズだ。


この記事が参加している募集

#子どもの成長記録

31,513件

#育児日記

49,137件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?