ああ、わたしの居場所、「図書館」へ。
最近、図書館に行けていない。
なぜなら、次男が本を片っ端から出してしまい、図書館にご迷惑がかかるからだ。
置いていけばいいと言われそうだが、預け先がないので無理だ。
わたしにとって、図書館は思入れのある「居場所」のひとつだ。
子どもの頃から、ずっと図書館に通ってきた。
母に連れられ、はじめて図書館に行った日のことを覚えている。
市の図書館が新しくなり、これまでにはなかった大型図書館として開館したので、母はすぐにわたしを連れて、本を借りに行った。
田舎町にはないお洒落な外観。
広いスペースにちゃんと子供用のテーブルやいすが並び、児童書コーナーも充実していた。
リニューアル前にはなかったAVコーナーもあり、母はそこで何度も「手塚治虫作品」のビデオを借りてくれた。
家で「ジャングル大帝レオ」や「リボンの騎士」を観た。
あのとき借りなかったら、たぶん一生見ることはなかっただろう。
漫画コーナーもあって、「ブラックジャック」などもこの図書館で出会った。
中学、高校でも、この図書館を利用し続けた。
10時開館から8時閉館まで、ずっと居続けた。
勉強の合間に、本棚の間をうろついて、おもしろそうな本を立ち読みするのが楽しかった。
大げさかもしれないけれど、図書館があったから、中学、高校を乗り越えられた。
今思えば、「図書館という居場所」を教えてくれた、母にも感謝だ。
そのせいなのか。
大学生になってあれこれバイトをしたけど、大学図書館でのアルバイトが一番しっくりきた。
一番長く勤めたし、他のどのバイトよりも楽しかった。
新刊が入ってくるたびに、カウンターに持って行って、誰よりも先にそれを読んだ。
大学のある町には書店がなかったので、本に触れられる図書館バイトは幸せだった。
大人になってからも、図書館は特別だった。
ずっと通い続けられる、一生の居場所のひとつだと思っていた。
だが、今住んでいる町の図書館はとても小さい。
田舎なので、いくつかの小さな図書館が各町に分散して設置されているのだ。
だから、ひとつの図書館をおとずれても、読みたい本はべつの分館にある、なんてことはざらだった。
面倒だが、しかたない。
予約システムをフル活用して、読みたい本をどんどん借りた。
こんなにも「図書館」とつながってきた人生だったのに。
まさか子どもができると、こうも図書館に行きづらくなるとは。
うちの息子たちは本が好きだ。
だから、なるべくたくさんの本を借りてきて、読ませてやりたいと思ってきた。
長男はおとなしいので、連れて行っても支障はない。
最近は、「どれを借りようかな~」なんていっしょに選んでくれて、そんなことができる親子になれて幸せだった。
でも、次男はとんでもない。
図書館に着くや否や腕から飛び降りて、片っ端から本を出す。
カゴも好きなので、どこからか貸し出し用のカゴを引っ張ってくるわ、子供用の椅子も倒すわ、止めれば今度はすさまじい声で叫んで怒る。
ほんとにほんとに、大迷惑だ。
断じて「悪意」はない。わかっている。
次男はただ、大好きな本がたくさん並ぶ楽しい場所に来たと思っているだけ。
二度ほど挑戦して、あきらめた。
今は、むりだ。
「いっしょに図書館」は今ではないのだ。
まだ、1歳半だしね。
残念ながら、本を借りてやることも難しい。
次男は自分で本棚を漁って床に一冊置き、ぺらぺらとめくって読むことができる。
「ひとりで読書ができるなんて、かしこい!」と感心していたのだが、めくる勢いが強すぎて、びりっと破れたり、角が曲がったりが多発した。
これでは、借りた本がだめになる。
これもまた今は、諦めよう。
こうして今、人生で最も「図書館」という居場所から距離を置いている。
悲しいが、しかたがない。
次男ももう少し大きくなれば、いっしょに借りに行けるようになるはずだ。
それまでの辛抱。辛抱、辛抱。
ただ、図書館から離れたことで、わたしの読書量も減ってしまった。
子どもたちもだ。
借りない代わりにいつもより多めに本を購入したが、やはり追いつかない。
それに、たくさんの本が並んでいる中から「選ぶ」からこそおもしろいのだ。
ネット注文だと、自分が選んで読みたいとおもった本しか購入しない。
そうではなくて。
たくさんの本が並ぶのを眺めながら、知りもしなかったタイトル、作家、絵の本に惹かれて、手に取ること。
しかもそれが、お金を払わず読めるということ。
それが、「図書館に行って借りる」ことの醍醐味だと思う。
ああ。図書館に行きたい。
早く、わたしの居場所に通いたい。
隙あらばなんとか行こうと画策しているが、ううん、なかなか。
あと、もうすこし育児が落ち着いたら、全国のすてきな図書館を巡るのもまたいいなあ、なんて。ふふふ楽しみ。
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