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SNSをやめてみたら


つい二週間ほど前、私はiphoneに入れていたSNSをすべて消した。

すべてといっても、そのとき入っていたのは「X(Twitter)」と「Instagram」だけだ。



まず、ある朝「X(Twitter)」を消すところから始まった。

「X(Twitter)」は、大学生のころから使っていたので、かれこれ10年以上の付き合いになる。
何かをつぶやくことはしておらず、ひたすらフォローした人のつぶやきや情報を見るのに使っていた。

だが、ある時から「おすすめ」という機能によって、フォローしていなかった人のつぶやきが流れてくるようになった。



これが、私には合わなかった。


今までも、見たくない内容や書き方がされているツイートを目にすることはあったが、そういうときは、すぐフォローをやめればよかった。

ところが、「おすすめ」は勝手に知らないツイートが流れてくるので、見ようとも思っていなかったツイートをたくさん目にする羽目になった。



「いや、おすすめを見なければ良いじゃん」と、自分でも思ったのだが。
意志の弱い私は、「おすすめ」が表示されると、ついそちらを見てしまう。
そして、いやなツイートを見つけても、思わず読んでしまう。
いくつか読んでしまうと、どんどん似たようなツイートが流れ始めて、もう悪循環でしかなかった。

もしかしたら、そういうのを見なくて済むような機能が、きちんと備わっていたのかもしれない。
ちゃんと設定すれば、見なくてすんだのかもしれない。


だが、私はどこかで、SNSをやめるきっかけがほしいと思っていた。


目の前に子供がいるのに、つい携帯を開いてしまう自分。それも、見たくもないものを惰性で見ている。
無駄な時間を過ごしている自覚が、大いにあった。
それなのに、やめられないまま、ずるずる来ていた。


やめよう。今、アプリを消そう。

ある朝思い立った私は、布団の中でアプリを削除した。




やってやった、と思ったのは束の間だった。

もうひとつ、「Instagram」が残っていた。
こちらも、消したい理由は同じだった。

「Instagram」は、近隣のお店や子供の遊び場の情報を仕入れるのに使っていたため、消すかどうかかなり迷った。

というのも、「X(Twitter)」は、アプリを消しても、検索すれば見たいツイートを読むことができるが、「Instagram」は、アプリを消した後に記事を検索すると、「アプリをダウンロードしてログインしてください」といったメッセージが度々表示されるのだ。

おまけに「ストーリーズ」も見られないので、よく行く近所のお店が今日やっているかどうかなどの、タイムリーな情報を仕入れるのが難しくなった。


それでも、勝手に表示される、見ようとも思っていなかった投稿を見てしまうと、心がざわざわした。
大袈裟なようだが、夜寝るときなどに「Instagram」で読んだ記事のことが瞼の裏に浮かんできて、寝られない日すらあった。



このまま続けていてはよくない。とりあえず、消そう。

次の日の朝、「Instagram」のアプリも削除した。



もちろんこちらも、「X(Twitter)」同様、アプリを入れなくても投稿を見る方法があるのかもしれないが、あえて調べていない。
だって、調べたらきっとまた見てしまう。
せっかくアプリを消したのに、それではもったいないと思った。

こうして私は、「X(Twitter)」と「Instagram」をやめた。




さて、やめてみてどんなことが起きたというと、ほとんど困っていない。

前述のとおり、「Instagram」で近所のお店や行きたいカフェの情報が調べられないのだけが、今のところの不便な点だ。
それ以外は、何も弊害はない。

むしろ、消してよかった、と安心している。

というのも、消してから数日、私は何度も携帯を開いてアプリを探してしまったのだ。
何気ない隙間時間にサッと携帯を開いて、アプリを開こうとして、「そうだった。消したんだった」と戻す。
何回繰り返すんだ、と思うくらい何度もやった。

今までの私は、そのくらい何度も何度も、SNSを目的もなく見ていたということだ。

自分がどれだけ無駄な時間を過ごしたか、子供たちを目の前にして何度惰性でSNSを開いていたかを考えると、すこし怖くなった。

だから、思い立って消してみてよかったと思う。

SNSを全くやっていない夫に報告すると、「それは良いことしたなあ」と言ってくれた。これにも救われた。



結局その後、「note」と出会ったので、私の携帯には新たなアプリが追加されるのだが。

「note」は、惰性で眺めていたこれまでのSNSとはちがう、と思っている。
むしろ、「X(Twitter)」と「Instagram」を消したことで出会えた、私の新たな楽しみの一つだ。


ちなみに、私にとって「X(Twitter)」も「Instagram」も、長い間とても楽しく使わせてもらった、思い出深いSNSだ。
記事を人目につく形で投稿するにあたって、別に、両SNSを否定したいわけではないということを一応書いておく。
「X(Twitter)」と「Instagram」には、楽しい思い出や時間をもらったので、むしろ感謝の気持ちでいっぱいだ。


ただ、私はこれからもおそらく、この二つを再開することはないとおもう。
今はただ、目の前の子供たちに向き合うことや、自分自身の楽しみのために時間をつかっていきたい。



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