テレビをつけてごはんを食べるのも、たまには悪くない
テレビを見ながらごはんを食べるのって、よくないのだろうか。
たしかに、子供にとっては集中できないし、「ながら食べ」は目の前のご飯を味わえなくなるのでもったいないな、とも思う。
私もここ最近まで、ご飯中はテレビを見ないのが当然だと思っていた。
そもそも、我が家はテレビ番組をほぼ見ない。
見るのは、ニュース、天気予報。あとEテレ。たま~に、音楽や歴史などの特集番組。あとYouTube。子供たちは、お風呂上りに少し見る、が鉄板だ。
一時期は、子どもがぼーっと見るとか、何となくついている、という状況を回避したくて、夫にも「見ないなら消して!」などと強く言ってしまった。
でも最近、「もういいか」と思うようになったのである。
以前書いた「諦めムードの朝ごはん」と同様、また「諦め」の話になる。
食卓を囲んで思うのは、「私ばっかり喋ってるやん」ということだった。
どうしても、普段から聞き役の夫、もぐもぐしている長男、喋れない次男と食事すると、私の話の割合が多くなる。
もちろん、長男の園でのことを尋ねたりもするが、喋るとどうしてもご飯の進みが遅くなってしまうので、途中で「とりあえず先に食べよう」となる。
それだけならまだしも、つい長男への指示が増えてしまうのが悩みだった。
「足をおろして食べなよ」とか、「次は野菜にしたら?」とか。
いや、うるさいうるさい。
私自身、小言ばかりいいながら食べると、楽しくない。
でも目の前で長男が食べているので、自然と目につく。
ということで、始めたのが「食事中のテレビ解禁」だった。
あえてつけることはしないが、夕方はニュースをつけていることが多いので、そのまま夕飯になった際は、消さないでもいいか、と思うようにした。
すると、これが結構いい感じだった。
私も夫も、世間の情報に疎いので、ニュースを見つつ、「今日こんなことあったんだね」なんて会話も弾む。
さらに、長男がニュースの言葉を聞いて、「〇〇って何?」「これはどんなことを言ってるの?」など、興味を持つようになったのである。
「〇〇ってどこ?」と聞かれれば地理を教えられる。
「(天気予報の)あの数字は何?」と言われて、気温や降水確率の話をしたこともある。
無人店舗を狙った窃盗犯が逮捕されたニュースが流れて、「人のものを盗む」ことについて話したこともあった。
ほかにも、災害のこと、世界のニュース、スポーツ、何でも話題にのぼる。
3歳にとっては、何でも新鮮だ。
たまに、めちゃくちゃ難しいことを聞かれるときもあって、言葉につまる。そんなときは、はぐらかしても仕方ないので、「分からない」と素直に言う。代わりに夫がうまく説明してくれる時もある。
先日読んだ本でも、ちょうど、このテレビの話に触れていた。
まだ3歳なので、そこまで突っ込んだ話にはならないが。
「なんでなんで」の3歳は、面白い切り口で大人にたずねてくれるので、こちらも無知を思い知らされる。
長男「お母さん、大人なのに、なんで外のことあんまり知らないの?」
と真顔で言われたこともある。
たしかに。痛いところをついてくる。
世間知らずは事実だから、何も言えない。
答えるのが面倒で「うーん。よくわからないなあ」なんてごまかすときもあって、長男のためにも自分のためにもならないな、と反省。
そんなわけで、テレビへのルールが少し緩和されつつある我が家。
毎日ついている、なんてことはほぼないが。
時には、ニュースや天気予報、各々の好きな番組をいっしょに眺めながら、あれやこれや喋りつつ、夜ご飯を楽しめるようになった。
そして改めて思うのは、「こうしなきゃだめだ」というルールにとらわれすぎていたかもなあ、ということである。
育児を始めたばかりのころは、「テレビを見せるのは子供に害」というのを100%信じていた。
でも、結局どこかでは目に触れるし、テレビを使わないと決めてしまって、私が家事をする時間が足りず、結局子供に当たってしまったこともある。
自分でがちがちにルールを決めて、自分の首を絞めていた。
それよりも、一緒にニュースを見て話をしたり、「おかあさんといっしょ」の歌を歌ったり、時には、子供の好きなYouTubeを見せて、私はのんびりして心の余裕を保ったり。
そういうテレビとの上手い付き合い方を、家族で考えて行けた方がいいな、と思う。
いずれは、テレビゲームもするんだろうし。
育児も何事も、「こうしなきゃ」よりも「どうするか、一緒に考えよう」という柔軟な思考を、どんどん身につけていきたい。
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