夫と「価値観」が一致してよかったこと。
夫と「価値観」が一致してよかったのは、「育児」の方向性だろうか。
夫とは、なんとなく趣味趣向も考え方も、おなじような系統だ。
ぶつかり合うのが苦手な夫婦なので、あまり意見が食い違うこともない。
だから、「育児」においても衝突はあまりなかった。
「育児」は、夫婦だけの問題ではない。
子ども自身の人生に大きく影響するものだ。
だから、夫の考える「育児」の方向性が、理解不能なものではなくて、ほんとうによかったと心から思う。
ふだんは衝突しないわたしたちでも、我が子のことなら譲れない。
大きく意見が食い違ったら、揉めに揉めたんじゃないだろうか。
しかし、ありがたいことに。
育児において大切にしたいことや、子どもたちに与えたいもの、育てたい環境などは、夫婦でおなじほうを向いていた。
たとえば。
当たり前のことだが、暴力や暴言はダメ。
しつけと称して殴るような夫だったら、わたしが夫を殴っていただろう。
一方的に、しかりつけることもない。
わたしもないし、夫がそうしているのを見たこともない。
それから、携帯やゲームをいつから与えても良いか問題。
これは、ふたりとも「なるべく遅く」だ。
時代遅れなのかもしれないが、一年でも、一日でも、触れる機会を遅くしたい。
YouTubeを見せてしまっているのも、ほんとうはやめたい。
(最近、すこしずつ時間が短くなった。)
スマホやタブレットを子どもに持たせて、操作させることは絶対にしない。
子どもたちには、携帯よりも、絵本を読んだり、ブロックで遊んだり、砂場や水たまりやそのへんのガラクタでおもいっきり遊んでほしい。
ほかにも、習い事。
長男は、最近ピアノをはじめた。
わたしたち夫婦は、どちらも「音楽」が好きだ。
子どもたちにも、楽器ができるようになってほしいとおもっていたので、習い事も決めやすかった。
ほんとうは、運動もさせたいのだけど。
これもまた、夫婦そろって運動が苦手なため、なかなか運動に足が向かない。
これは、よくない「価値観の一致」かもしれないなあ。
こんなかんじで、挙げだすとキリがない。
必要なものは、ちゃんと買ってやろう。
本は、欲しいならいくらでも買ってあげよう。
好きなことを、伸ばしてあげたい。
おだやかで、おとなしく、落ち着いた長男の個性を尊重したい。
次男はまだ小さいので、いまいち「こうなってほしい」とか「こうしてあげたい」という話が出てこないのだが。
次男のこともおなじように考えたいし、次男らしさを大切にしてやりたいとおもっている。
それは、夫もおなじだろう。
育児に対する「価値観」がおなじだと、ストレスが少ない。
夫が「ああしたい、こうしたい!」と主張してくるばかりだと、わたしはきっと反発していた。
しかし、夫婦で揃いすぎるのも、どうなんだろう。
子どもにとって、お母さんもお父さんも、おなじような感じというのは、いささか世界が狭まる気もする。
だから、「うちの夫が、息子にサッカーをさせたいって熱心に習わせに行くのよ」とか、「アクティブな夫が、キャンプにばかり連れていこうとする」とか聞くと、「うわあ・・・」とも思うけど、そういう強引さがうらやましいときもある。
いや、ないものねだりかな、これは。
これから先も、子どもの学習、進学、受験など、まだまだ夫婦で話し合わなければならない出来事がたくさん待っている。
そのとき、「価値観」が一致するとはかぎらない。
それでも、じぶんの考えをちゃんと伝えて、相手の考えも聞けたらいいな。
もちろん、「主役」である子どもの考えも、いっしょに。
◇◇◇
珈琲次郎さんの「仲良し夫婦サークル」のテーマ「夫婦で価値観が一致する瞬間」のことでした。
いつも、考えるきっかけをくださって、ありがとうございます。