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[ネタバレあり]映画”NOPE/ノープ”の感想

1.そのコメントはネタバレ?

 私の尊敬する人物である小島秀夫監督が、この映画について”まるで令和のジョーズのよう”とコメントしていた。そして自分は、前作”アス”や”ゲット・アウト”のような、スリラー・ホラーテイストな映画を想像していたため、いまいちジョーズらしい、ということの真相が掴めなかった。
 そしてモヤモヤしたまま視聴した後、”ジョーズのような映画”というのはネタバレではないか・・・と思ってしまった。UFOと認識されていたものは本当は獰猛な生物である、というシーンと、ジョーズの、同じ獰猛な動物の仕業である、という箇所がマッチしているのだと考えたのだ。実際に、我々視聴者は主人公のOJが気づくまであれは完全にUFOの類である、と誤解しながら話を観進める事になる。そして、OJが、あれは生き物であると気づき、みなければ襲われない、考えたところは話の貴重なポイントとなっていた。であるから、自分は“感想とか一切見なければよかった・・”と思いながら劇場を後にすることになった。そしてその後に、小島監督の本意を汲み取れていないことに気づいたのだった。本来、それはネタバレにはならなかった、少なくとも小島秀夫監督は、全く別の思考でその感想を書いたのだ、となったのは、視聴後二日ほど経って、昼間、スーパーからの家路についている時であった。空模様がまるで映画内のカリフォルニアのような感じで、Gジャンが出てきたらどうしよう・・なんか考えていたら、ふと、これがジョーズとノープの共通点で、小島監督はそのように考えたのだろう!となったのだ。
 それは何かというと、前者は”世界中のどこにでもあり、誰でも認識できる海に対しての恐怖”で後者も”世界中のどこにでもあり、誰でも認識できる空に対しての恐怖”を与えたというところだったのだ。

2.作品に込められた意味とは

ジョーダン・ピールと言えば、白人の監督が多いアメリカの地で、黒人監督として自身の人種差別やステレオタイプに対する見解を基として、映画自体に落とし込む監督である。(少なくとも自分はそう認識している)
 今回もその要素は引き継がれていたが、私的に、メインの要素はそこではないように感じられた。ストーリーの展開の中で、アジア人のジュープが経営する西武風の遊園地と、彼が小役時代に経験した”ゴーディ、お家に帰る事件”の描写がある。ここでは、チンパンジーであるゴーディが、フルハウスのようなショーに出て、プレゼントの風船に興奮し他の出演者を攻撃する、というシーンがあった。ここは一見すると物語に関係ないように見えるが、実際はここが監督の伝えたいことをヒントとして掲示したところになっているのではないか、と考えた。ジュープのみ無傷で生き延びていたのだが、彼はこの事件のことを悲惨な事件と思っておらず、自分のオフィスの横に記念品コーナーまで作る始末であった。彼は本来、意志を明らかに持った動物を完全に操ろうとすることの困難さ、危険性を一度経験しているはずだった。しかし、それにもかかわらず、空にいたGジャンを再びお金稼ぎの道具として、操ろうとしたのだ。その結果として彼は家族もろとも食べられてしまった。そして、そこの対比としてあげられたのはOJやエメラルドであった。彼らは動物に敬意を持って接し、家族の一員として扱った。そのため、Gジャンが生き物であることにいち早く気づき、助かったのだ。

では、他はどうだろう?
エメラルドが電話したカメラマンは、摩訶不思議なものをしっかりと動画に収めたにも関わらず、もっともっと、と欲張った結果犠牲になった。一方で、電気屋のにいちゃんは怖いもの見たさでいただけだったため助かった。
この対比構造や、犠牲者と生存者の違いから見るに、作者がこの作品で伝えたかったのは、”自分達の利益優先で、対象もしくは労働者のことを考えなければ、痛い目を見るぞ”ということを言いたかったのではないだろうか。
I will pelt you with filth, I will treat you with contempt and make you a spectacle.
私は汚らわしいものをあなたに投げかけ、あなたを辱め、見世物にする

--ナホム書 第3章 6節
この映画最初の引用も、自分の主張をサポートするエビデンスとして挙げられる。


 また他に挙げられるメタファーとしては、やはり黒人対白人、という構図は挙げられると思った。エメラルドが最初の映画の説明をしたときに”馬の名前は載っているのに(黒人である)ジョッキーの名前は載っていない”とぼやくシーンがあったり、明らかに今回も前作同様にテーマとして、(今作はサブテーマとして)意識していることは間違いない。
 Gジャンが爆発した時のエメラルドの反応は、アメリカの映画界に対する、長くにわたる黒人差別を経験してきた監督本人の感情をそのまま反映しているように感じられるし、”勝手にその辺からやってきて俺らをナメるなよ”という監督の差別主義者に対する挑発のようにも感じられた。

3.過去作との違いは?

まず、私はこの映画をジョーダン・ピール史上で最高の作品だと思っている。
 過去作”ゲット・アウト”、”アス”のように、”ノープ”も、アメリカ、ひいては現代社会に生きる恵まれない人の怒りを今回もうまく映像に落とし込んでいる。ここは同様だ。
 しかし、表現方法は過去2作とは全くと言っていいほど別物であった。今回は前回より直接的な表現を避け、なるべく映像作品としての体験を全面に押し出すよう作成されているように感じられた。特に、前々作のゲット・アウトとの違いは顕著で、前者はガチガチのホラーであったのに対し、今作はホラーの要素が一切なく、ただただ緊張感のあるストーリー構成を壮大な映像でおこなう、というものだった。そのため、もし観ようと思うのなら、過去作とは全く別テイストであることを覚悟することをお勧めする。

4.最後に

この映画で何が気に入ったかというと、映像作品として楽しめるところと、深い意味を含有しているという、噛めば噛むほど味が出るスルメのような作品であったところだ。壮大なビジュアル等々目を引かれる個所もたくさんあったが、現実世界のメタファーである、というのも、非常に面白い箇所だろう。

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