見出し画像

子供にとっての大人の存在はデカい

子供の時は、
大人が言うことは正義だと思ってた。

意味がわからないことを教えられても、
いつか大人になったら理解できる日が来るんだろう
と思っていた。

「しつけ」とは
「子供を育てる」とは
どうあるべきなのか?

勝手に持論かまします。


きっかけ

この四月、ついに晴れて大学に入学した私はバイトを始めました。(まだ研修期間だけど)

何のバイトかというと、塾講師のバイトです。
(集団授業の講師)
それもね、まあまあ大手の。
(一応全国展開しているし、それなりにカリキュラムやらコースやらシステムやらがしっかりしてるという意味で。)

んで、先日、その初期研修に行って来たんです。
講師デビューする前の育成システム(研修)みたいなのがありまして。
それの準備段階というか、初回の説明って感じのね。

んま、色々と説明される訳ですよ。
授業内容とか教え方に進む前の前提として、
まずは授業をする側としての心持ちだとかスタンスみたいな部分とかね。
例えば、保護者と生徒で進路に対する考えやスタンスが違った場合はどう対応すべきか。生徒が宿題をしてこなかったらどう対応するか。講師として、先生としてあるべき姿とは。とかとか。

そんでさ、これってその会社が目指してるものとか経営理念がガッツリ絡んでくるんだよね。


違和感

それでね、「しつけ」に関する話が出たんです。
いや…しつけって何だろうね…。
考えすぎて分からなくなってくるよ。苦笑

例えばさ、教室がうるさかったとしましょう。って話がチラッと出たのよ。

そりゃもちろん良くないね。
本当に勉強がしたい子が集中できない環境になってしまうから。そこは塾なんだから。勉強するための場所なんだから。

そういう時は講師(先生)がどうにかしなきゃいけないよね。静かにさせないと。うんうん。そこまでは良いんだ。

ただね、その、
教室では静かにさせるっていう「しつけ」をする "理由" が
「生徒を自発的に社会的なルールや常識をわきまえた行動ができる人間に育てるため」
なんですって。(←重要)

なーんか、ここで私は少し思ってしまったんです。
「ちょっと生意気だな」って。
(言葉がいささか強くてすみません)


しつけとは

しつけってね、一般的に親(または大人)が、子供が外に出たときに恥ずかしくないように、礼儀や常識を教えるような時に使う言葉だと思うんだけど。

まあ例えば、どんなしつけがあるかな。
私が育った家庭でされてきたしつけとしては

・口に食べ物を入れたまま喋らない  とか
・傘をささずに持ち歩く時、杖のように道路にカツカツしながら歩かない
とかですかね。

え、皆んなどんなしつけをされてきたんだろう。気になる。(余談)

そんでさ、なんて言うんだろうなー。
私はね、そのライン(境界線)が難しい時があるなと思うのよ。
何のラインかって言うと、

「しつけ」として成り立つような
「こうあるべき」って言う "正解" が明らかに決まっていることと、そうでないことのライン。

まあ、上記に挙げたしつけは、確かに結構正解かなと思う。「教室で騒がない」も含めてね。
(この "正解" っていうのは、世の中である程度マナーとして守るべきだろうとされてる事なんじゃないかって判断できるっていう意味ね。)
まあこれもあくまで私の価値観ですが。
国や文化が違えばまた変わってくるしね。
(それ言ったらキリがないけどねえ。)

でも、何だろうな。
うまく伝わるか自信がないのだけれど、

しつけをするってことは用は
「こういう状況ではこれが "正解" なんだよ」
っていうのを示してるってことなわけじゃん。子供に。

それってすごく慎重にやらないといけないことだと思うんだよね、私は。
今後のその子の生き様をセーブしてしまうかもしれないと思っちゃうのよ。(←重要)

まあちょっと考えすぎかなとは思うけど。

ブログを書いて、人に説明しようとしてみて初めて気づいたのですが、
この感覚は私自身の幼少期の経験から来ているようです。



その "正解" は本当に正解なのか

例えばさ、まあこれをしつけっていうのか分からないけど、
私ね、小さい頃からずっと親に言われてきたことがあるのよ。

「誰かがもしあなたに対して怒っていたら、
相手がどうして怒っているのか分からなくても
まずは謝ってからそれに対する返事をしなさい。
それが世の中で生きる術だよ。」

私の母上より

(引用ボックス使ってみた!ブログっぽいでしょ!!)

もうね、
私これずーっと印象に残ってる。笑
何年も言われ続けて一生考えてたから。笑


あのね、別にそういう価値観の人がいても良いと思うの。私は母上が間違いだって主張したい訳じゃないんだ。
特にこれに関しては、価値観の違いというより、皆んなそれぞれが持ってる性格や人に対する振る舞い方に適する、違った生きる術があるよねっていう感じかもしれない。

ただ私は、子供の頃これを家庭のルールとして強要されていたので非常に苦しかった。
謝れない子じゃないんだよ。
子供の頃の私は、意地で謝りたくなかった訳じゃないの。もちろん、そういう時だってあったとは思うけどね。笑笑

ま、私が結構変わった子だったのもあるとは思います。本当、歳を重ねて大人になるにつれて、私って相当変わってるんだろうなと思うよ。笑
ここ数年特に笑笑。


幼少期の私


あのね、私ね
まあ未だにそうなんですけど、
相手の話や説明を聞いた時なんかに、
100%…とまではいかないけれども
まあ90%くらいは理解出来ないと「なるほど!」とか「へえ!」とか「そうなんだ!」とかいう肯定する相槌を打てないんです。

いや、ちょっと面倒な人間ですよね。
わかります。ごめんなさい。ははは笑笑
これに関しては中学生辺りから苦労しました。
まあ今は、こんな私でも生きる術を見つけ…たつもりですが…。笑
(多分ね。いや、まだ時々面倒な奴だったり威圧的な人になってるかもしれません。…なってないことを願います。ぴえぇ。)


いやあのね、私としては相槌を打ちたくてたまらないんですよ。
頷きたくて頷きたくて、何なら角度的にはちょっと頷きかけてるんです。笑
でも、頷けないのよ。笑笑
まだ頭の中ローディング中だから。笑笑
「ちょっと…待っていただける?」って感じになってるんですよ笑笑。(思考スピードがマイペース)


だってさ、頷いてしまったらその先の話についていけなくなるじゃない。

そうなの。私勘を働かせるのも苦手なんですよね。(どこまでも癖強)

先の話を聞いてから、やっと前の話を理解するっていう展開に期待できない。
(映画で面白いはずのどんでん返しとか意味わからなくなる人)

空気とか読めないタイプなんですよ。
頑張って読もうとしてますよ?私としては。
いや〜難しいんですよねーーーーー。
ごめんなさいねー浮いちゃって。
よく生きてたよ、幼少期の私。苦笑
いっつも頭の中フル回転でひたすらポケーっとしてましたからね。
(まあ多分今もですよね爆笑)


だから、受け答えするの苦手だったの!!!!!



——とまあ、なんか私の天然ぶり(?)を紹介するコーナーになっちゃいましたけど。
少しイメージ出来ましたかね、子供の頃の私を笑。

つまり!そんなこんなで、
「とりあえず一旦謝っておく」だなんてことは、

日常の会話や出来事に隠れた数少ない情報を一生懸命思い出して抽出しながら
必死にその状況を頭フル回転で推察・分析中の幼少期の私(多分すーごいポケッとした顔してる)には
到底不可能なわけです!!!!!

(ま、こんな訳で怒られた時にポケーーッとしてたからこそ、とりあえず謝っとけって何回も言われてたんでしょうね笑笑。そんなんじゃ社会で生きていけないよって笑笑。)

んま、小学生の私は
それを説明するだけの語彙力も思考力も足りず、
そんな自分の言い訳に自信が持てるわけもなく、
でも一旦謝ろうとしても当時の私にとってはやっぱり難しくて

何にも考えてないと思われてさらに怒られて、めちゃくちゃムッとした顔しながらも何も言えなくなるっていう可哀想な小学生時代の私。でした笑笑。


母にとっての絶対的な "正解"

おそらく母にとっての生きる術だったんでしょう。それが。

それを意識して生きてたらきっと彼女はうまくいったんだと思う。
(聞いたことないから予想でしかない)


いや、意識せずとも当たり前に出来てたのかもしれない。きっとそうかも。一旦謝るなんてこと、誰かにとっちゃ簡単だろうし。
(私も今となっちゃできるけどさ)

その術を伝授したかったんでしょうね。私により快適に生きて欲しくて。なかなか出来ない私に何度も言い聞かせていました。きっと彼女なりにめちゃくちゃ迷って考えて、どうにか何かを教えようとしてたんだと思う。

母にとってそれは正解だったのかもしれない。
自信たっぷりの、絶対的な。
だけど、私にとっては違った。

回りくどくなったかもしれませんが、こういう感じで私、
大人の「しつけ」とか "正解" に上手くフィットできないことが多々ありましてねー。

ちょっと危機感を感じてしまうんです。
「しつけ」によって誰かの "正解" を決めてしまうことに。
もちろん、靴を揃えようとか、くしゃみを人にかけないとかっていう、
明らかに正解が決まってるものも沢山あるけどさ。

私みたいな特徴的な子供の場合は特に、
その子をよく観察して、どこのプロセスで何が起こってるのかを見極めて導いてあげないといけないよね。
(私の親の育て方が悪かったとかって主張してるんじゃないです)

でもね、確かに
「特徴的な子供の場合は特に」
ではあるんだけど、
言ってしまえばみんな特長的なんだよ。
(……極端でしょうか。)

皆んなそれぞれ思考パターンもスピードも違うし、性格も振る舞い方も、どうしてその行動に至ってるのかも人それぞれ。

…伝わるかなーー!!!!!!

だから「しつけ」ってそんな簡単なことじゃないと思うんだよ。
まだ上手く自分を表現したり伝えたりできない子供に教えるからこそ、
ただ単に "正解" を提示したら良いわけじゃない。
その "正解" の裏にだって、それが正解となる目的やマナーが存在する。
それもちゃんと理解した上で、その子も理解した上で「しつけ」をしないと、
その子供のアイデンティティや肯定感を傷つけかねない。

(——理想型すぎますかね?)


子供にとっての大人


大抵皆んなそうだと思うけど
幼少期の私は、大人(親や先生)に従順する出来ることが "良い子" だと思っていたし、
その時は大人の言葉が理解できなくても
「私はまだ子供だから、いつか大人の言うことが分かる日が来るんだろう」
って思ってた。(そんな日は来なかった)

そして、今ほどの語彙力も思考力も全然なかったけれど、でもそれなりに小さな頭で沢山のことを感じて考えていた。
それに耳を傾けてくれる大人は少なかったし、尊重しようとしてくれる大人はもっと少なかったように思う。ま、そこまで私も主張していなかったが。

それこそ私は、悶々としながら考えに考え抜いて
一生考え続けてここまでの自己分析をやっと出来たわけで。

普通の小中学生にとっちゃ、人間がそれぞれこんなにも違うということさえまだ理解が難しいだろうし、

そもそも知ってる世界も経験も狭いから、事の全体像が把握できない。分析のしようもない。

言語化の精度も低いから、いくら考えてもパッとしないし整理整頓できないし。

そんな彼らにとって大人が言う言葉って、威力半端ないんだよ。それに縋りたくなる。それをヒントに懸命に生きようとする。

子供は、子供かもしれない。
でもさ、立派なひとりの人間なのよ。

だからさ、親ならまだしも、
外部の人が「しつけ」をするって聞いて、
なんか相当な責任が伴う気がしてしまったんだ、私は。

つまり、やっと戻るけど、
教室が騒がしかった時の対応の理由が
「教室の環境整備」であれば私はそのまま何も引っ掛かることなくおりました。
ま環境整備の意味だってもちろんあると思うがね。

はああぁ長かったねえ。
上手く言語化できたかな。


小さな違和感の認識(結び)

んま、私が考えすぎなとこもあるよね。
多分、かなり笑。

ここ一年位私、子供とか親が関わるトピックに対しては考えすぎてモヤる傾向にあるので笑。

そのバイト先の会社としては、
「その塾に来てくれる子供に自立的に生きてもらうための手助けをする」
ことを、

目標というか、会社自体の方向性というかにしてるのだと思います。

私は、「塾」はあくまでも
勉強をする、成績を上げるための場所であって
そこまでの役割を持っていると予想してなかったのでしょう。
が故の違和感だったと思われ。ます。

まあまあ、頑張って働きますよ。
私の出来ることはします。笑
全然良いんだけれどもね。
私は今はただのバイトとしての位置ですし。

結びですが。
もし私がこの研修で、経営理念やら理想の講師やらの説明を完全受身で聞いていたら、
こんなに深く考えることも言葉にすることもなかったんだなって
ちょっとだけ怖くなるというか、危機感を感じました。

私はそうならないように生きたいなと思うの。
社会に呑まれたくない。
つまらない頭の固い大人になりたくない。

こういう、会社でまとまった理念や目標、価値観があることはとても良い事だと思う。

ってか、良い悪いというより、そうやって社会って成り立ってるんだなって。

同じ意思や考えを持った共同体がそれに沿って活動して、
そのコミュニティ同士が関わり合って助け合って生きているのが、
人間共生社会ですから。
(急に伝える気がないのかというほど抽象的)

でも、お金をもらって働いてその組織に所属しているからと言って、脳死でそれを表面的に理解して受け入れるような大人にはなりたくないと誓いました。

だしね、細かいところでツッコミ入れるちょい面倒な人にはなってるかもしれないけど、

そうやって難しい言葉で法案とかだって言いくるめられるわけだからね。

大事だよ、小さな違和感をちゃんと感じて、
心の中でその文言にちょっと文句つけて議論するの。(言い方)

いや社会こわ!
人間こわ!



(完)



要らない独り言コーナー(余談)


子供を育てるってなんでしょうねえ。
あまり何も考えず、
単純に子供が欲しいから子供を授かる親もいるだろうしねえ。
むしろそれが普通だよねえ。多分。
私が考えすぎなんだよねえ笑。

でも、ひとりの人間を育てるって
すごいことだと思うよ。
その子にとってはある意味親しかいないわけだから。
その子が見えてる世界はそれだけ狭い範囲なわけで。
一人で生きていけないその子を守って育てなきゃいけない責任…。重すぎる。

私は子供産みたくないです。
理由はこれだけじゃないけど。
(誰も聞いてない)

昭和のしつけはそれこそスパルタだったんでしょうがねえ。(深めたい)

いやぁでも今のこの時代は、
体罰NGで言葉の暴力もNGで
子供を傷つけることなく育てるべき
というのが当たり前になりつつあるけども、

このトピックに限らず、
最近の西洋的な新しいグローバルスタンダードの価値観の波にも呑まれることなく、
自分の頭で考えてその都度そういう答えを出せる人間でありたいですねえ。

しかし、周りの影響なくして思考は動かないですからね。
むずかしいですねえ。


今日も皆んな頑張って生きてて
まじえらいわー。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?