ライフコーディネーター資格(やさしいで証)の資格実現を目指して。NO.6

おはようございます。
台風の影響は、私の住んでいる地域は大丈夫でしたが、静岡は大変な被害が出ているとのニュースが流れていて、心配しています。

今回は著者が何故「死生学」「死生観」を取り上げるようになった経緯を書かせていただきます。

著者はドイツ生まれで、第二次世界大戦が始まったのが筆者が7歳の時だったそうです。

元々筆者の家庭はクリスチャンであり、信仰の観点から当時率いていたヒットラーのナチスドイツのイデオロギー(政治思想・社会思想)に疑問を抱いていたそうです。

何故なら、戦争を始めること、人ひとりの命を尊重せず弱者を排除しようとしたこと、個人の自由を認めないなど、キリスト教の精神に反することばかりだと伝えています。
これは、今のウクライナ戦争にも当てはまるのではないかと私は考えてしまいます。

特に著者が問いているのは、ナチスドイツが計画していた「安楽死法」だと伝えています。

この法律は、ナチスドイツが身体や精神に障害のある方々を「役に立たない人間」としてしまい、政府の命令で安楽死させようとする法律だそうです。

著者の取り巻く環境(特に信仰や家族)にとっては、非人道的な所業だと伝えています。
私も著者の見解には賛成です。

ある時著者の父は、この計画を厳しく糾弾したカトリック司教のフォン・ガーレンさんの説教原稿を手に入れ、共感し、小学生だった著者もコピー機のない時代に、毎日何十通タイプライターでテキストを打ち込み、何百通ものコピーを作り、多くの方々に目に触れてもらうよう、家族と一緒に協力して「安楽死法」の計画を中止に追い込もうと努力されたそうです。

そのうちにどういう過程か分からないが、当時最前線で戦っていたドイツ兵に声が届き、戦闘意欲を失うことを恐れて「安楽死法」の計画が中止になったと伝えています。

著者は達成感で喜んだと同時に、非常に危険なことをしていたという恐怖も湧いてきたと伝えています。
例えば誰かが、筆者の家族の行動に違和感を感じて、ナチスドイツに密告されたら、筆者の家族たちは逮捕され、何をされるか分からないという恐怖と伝えています。

筆者はこれらの不安に対して、父親に問うたところこういう回答がきたそうです。
「私たちのやっていることは危険なことだ。しかし、国家が弱い人や無力な人を選んで殺すなど、絶対にあってはならない。絶対に認めてはいけない。人間には生死を賭けてでもやらなければならない大切なことがあるのだよ」と問うたそうです。
これが人間の尊厳ではないのかと筆者は感じたそうです。

そして1945年にナチスドイツが敗れて、連合国軍が進駐してきた時に、筆者の家族たちは「連合国軍が祖国をナチスドイツから解放してくれる」と歓迎する気持ちが強くあったそうです。
当時の筆者は17歳だったと思います。

しかし、連合国軍の1人の兵士はどういう感情を抱いていたか分かりませんが、筆者の祖父の姿を見るや否や、ピストルを向けて引き金を引き、筆者の目の前で祖父が撃ち殺されたそうです。

その時筆者は、深い哀しみや兵士に対する憎しみ、連合国軍に対しての裏切りなどなど、不安と恐怖で絶望感を感じたそうです。

町を占領し終えた連合国軍は、ドイツ兵や残された武器を探すために、家を一軒一軒廻ったそうです。
その時筆者は、もし祖父を殺した兵士と顔を合わせた時にどう対処していいのか分からなくなったそうです。

時間もない中、考え考え抜いてすごく思考錯誤したと私は感じます。
しかし、著者は自分がクリスチャンであり、新約聖書の中でイエスが「敵を愛しなさい」(たぶん汝の敵を愛せよだと思います)を思い出し、自分自身が真のクリスチャンだという意志を選ぶのなら、イエスの教えに従って、祖父を殺した兵士を愛し、受け入れなければならないと決心したそうです。
それが多感な時期の17歳の時に決心して、1人の兵士が著者の家に来た時に、筆者は必死の思いでこう伝えたそうです。

「ウェルカム」

この過程を見て考えた上で、皆さまからご意見伺いたいと思います。

ありがとうございました。

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