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自己紹介

家具の町、福岡県大川市に生まれる。父はヨーロッパの家具の卸し、企画を行う貿易会社を経営。母は専業主婦。曽祖父は画家で、その影響あってか4歳の頃から中学まで才能開花。福岡県の母の日の似顔絵コンクールから、校内の毎年行われる絵の大会や夏休みの絵画の課題では大賞や入賞を繰り返す。小さい頃からなわとびチャンピョンやテストや成績での高得点や、新聞委員長などリーダーシップを発揮したり、小さな成功体験を積み重ねる。特に絵の大会で賞を落としたことはなかったので、画家の道を志すが、同時に理系科目が得意だった為「絵で食べていくことは博打だ。理系に進みなさい。」と担任に示唆され、高校の進路は理系の進学コースを選択。高校では、科学部同好会を立ち上げ全国金環日食観測会では全国ベスト8を納める。新聞社2社に掲載。一から作った部活のイベントで80名集客。大学では小論文と実技実験のAO入試で工学部応用化学科に進学。成績優秀者だった為、校内の学生寮に入寮。研究論文は「酸化チタンの特性を利用した工場排水のフィルター」について。研究室自体はNASAと共同開発していたロケットやジェットエンジンの耐熱材料の研究室であった。

就活では理系に進むのは向いていないと感じ、マイナビで都内の投資用不動産会社をメインに受け、全て内定。恵比寿にある不動産で最年少上場会社であるベンチャー企業に入社。入社し、研修の一ヶ月後、営業開始二週間で契約を結び、初任給翌月、月収150万円。入社し、一年で1本売れるか売れないかのラインで、12本契約。新人賞、全社MVP、レジェンド社員。マイナビ、リクナビなどから取材を受ける。最短昇進で主任に飛び級。

その後一年勤め、三年目で父の会社を継ぐためにロンドン留学準備の為、退社。しかし翌月から、船でコロナ発症者が出現。コロナ渦で留学を断念。都内で自宅学習のち、イギリスの国が運営する語学学校へ入学。拠点を広尾から神楽坂へ移す。語学、小原流華道、デッサンを学び、三年間の学生生活が終わり、地元へ戻る。父に本格的な仕事を任されるかと思いきや、結婚を推奨。仕事を条件に結婚を決断。東京で出会ったエンジニアの彼と結婚。しかし、業務は任せて貰えず。ロンドン、チェルシー育ちの帰国子女の大手デザイン会社から帰国した知人男性が父の会社に入社を機に、父とは少々疎遠。父は男尊女卑の文化を抱えていた。現専業主婦。七歳から習っているスペイン舞踊は今でも週一でエクササイズ目的でやっている位。


人生の過去に華やかな経歴や交友関係を持ち都会を生き抜いていた私。今は社会と関わりがないことで、人生を振り返る時間を設けることができた。日常の気づきや新卒一年目でうまくいったコツ、経験談、二世の生き方で良かったこと、良くなかったことなど発信できたらいいなと思う。

最近ハマっていることは愛犬の調教。いろんな人に「お利口だね、天才だね。」と言われる。というのも、大人しく吠えないし、技をたくさん覚えている。おすわり、おて、おかわり、伏せ、ハイタッチ、チュ、スピン、ハウス、クレート、ゲージ、待て、おもちゃとってきてというと持ってくる、ちょうだい、などなど


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