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台湾から日本へ2回目の一時帰国。極寒の4都市を巡り、その後の心境の変化は?

こんにちは。台湾で駐在妻をしているぽんです。
12月に日本へ3週間一時帰国をして戻ってきました。
台湾へ来てから今回は2回目の一時帰国。
前回は昨年の4から5月にかけての7ヶ月前です。
(詳しくは下の記事を↓)

2回目の一時帰国で自分がどんなことを感じたのか、今日は感想を書きたいと思います。


1.会う友達を厳選し、スケジュールに余裕を持たせた

前回の一時帰国では一人だったのもあり、ほぼ毎日友達との予定を入れ過ぎて疲弊したのと、今回の一時帰国は夫も一緒だったので、あまり時間がないのもあり会う友達を厳選しました。
もう少し時間があったら会いたかった友達も数人いたので、次回帰国の際にはぜひ会いたいです。
でも、人と会うのは楽しいけど意外と疲れるので、毎日予定を入れずに予備日があるくらいがちょうど良いなと思ったし、専業主婦の友達は何回か遊んでくれて、仲が良い友達と何度も会えるのは良いと思いました。

2.日本へのお土産は?

前回のお土産はあれこれと買い回り大量過ぎて疲れ、その割には反応はそこまで大きくはなかったので、それを教訓に今回は小さいお土産を色々と詰め合わせるということはやめました。
友達にはこれ、両親家族にはこれ、と数は違えど大体パイナップルケーキやドライフルーツの同じものに統一し、大きめにドーンドーンといくつかあげました。
台湾のお土産の代表でもあるパイナップルケーキは重いので、会う友達の数を減らしたことで、できた技かもしれません。

3.日本は寒かった!!

今年の冬は暖かいよーなんて言われていましたが、私は12/1に日本へ到着した時はしっかりと寒い冬が来てました。
東京は、私が日本へ到着した日から急に寒くなったとのこと。
あたたかいウールのセーターに、しっかりとしたコートまたはダウンコートを着ないと無理な寒さ。
最高気温が12度くらいだったでしょうか。
日中は27度くらいまで気温が上がる暖かい台湾から行ったので、余計に寒さが堪えました。
友達と合羽橋へ行ったときには、曇りで日光が無い分底冷えで腰が痛くなる程で、ヒートテックの上からカイロを貼ってしのいでました。

4.移動が多くて疲弊、そして大寒波到来

今回の帰国は夫も一緒のため、自分の実家にずっとお世話になることができず、ホテルを転々としました。
東京→宮崎→博多→大阪と移動し、全部で5つのホテルに泊まりました。
大きいスーツケースを持っての移動が想像をはるかに超えて大変でした。

・東京から宮崎へ
まず、羽田から宮崎へはANAの飛行機で移動。
空港でスーツケースの重さを事前に量ってみたら、23kgで3kgのオーバー!(国内線は普通席だと20kgまで)
スーツケースから重い荷物を手荷物に移して20kgに減らし、事前にwebチェックインを済ませていたので自動手荷物預けをしようとしたら、夫のスーツケースのサイズがちょっと大きくて入らない。。
カウンターで預けるように言われて行ったら、長蛇の列。
飛行機の時間は刻々と迫っていて、ヤキモキしながら40分くらい並んでやっと預けられ、それだけで疲れました。

宮崎へ着くと、冷たい北風がビュービュー吹いてました。
10年に1度の大寒波の到来だそう。
強風に煽られながら、重いスーツケースを引きずり、レンタカー屋さんに到着した時は、髪の毛は風でめちゃくちゃ。
そこから車で1時間移動して、やっと夫の実家に到着。
宮崎は前日は26度もあって暖かかったのに、今日から急に寒いとのこと。
それって東京のデジャブ?行く先々が急に寒くなる。。。
宮崎はこの日から最高気温が8度、最低気温マイナス2度。
寒すぎてどこにも行く気にならず、夫とマッサージを受けに行きました。

・宮崎から博多へ
宮崎から博多に向かうため、”にちりん”、”ソニック”という特急列車を2本乗り継ぎました。
乗り継ぎ時間は約2分!
電車を降りて目の前に止まっていた電車に、スーツケースを必死に引っ張り飛び乗りました。
そこで気付いた痛恨のミス。
ソニックは博多行きと書いてある。
それなのに、乗換案内を見ながら予約をした私は最速到着で検索したため、予約したチケットは小倉駅で新幹線のぞみに乗り換えないといけない。。。
またこの重いスーツケースを持って乗換。。。泣きそうでした。
博多も寒波の影響で寒く、小雪がちらついてました。
それでもコンパクトでとても良い街!
食べ物も安くて美味しくて、夫も私もとても気に入りました。

・博多から大阪へ
新幹線のぞみに乗って大阪へ。
大阪は全く地の利がない私。
地下鉄のなんば駅に降りてGoogle mapを見ると、ホテルがなぜかものすごく遠い。。。
そこで初めて南海本線難波駅があるということを知り、あえなくタクシーでホテルまで行きました。

5.今回の日本で一番驚いたこと

それは、東京以外の宮崎、博多、大阪の全てのホテルのフロントスタッフが全員外国人だったことです。
欧米系の人ではなく、ミャンマーとかアジア系の外国人が多かったです。
また、難波で串カツを食べた時、従業員は一人以外全員外国人。
ここは日本だっけ?と疑いたくなるくらい、外国人が日本で働いているなという印象です。
串カツ屋で、店長が日本人だったので「従業員はほとんど外国人なんですか?」と質問したところ、「うちは従業員の7割が外国人です。難波は観光地なので、アルバイトを募集しても日本人が来ないんですよ。みんな地元で働いてるんじゃないでしょうか。」と言われていました。
日本の学生さんやパートの方たちは、やはり地元で働いているのでしょうか?
それにしても、日本語達者な外国人が沢山働いていて驚きました。
それでも大阪のホテルで、フロントにトイレットペーパーを追加でほしいと言ったら、”トイレットペーパー”が伝わらなくて笑えましたが。

6.インフルエンザに感染

大阪から台湾へ戻る飛行機の中で、なんとなく体の節々が痛くて足がだるい。おかしいな。。。
空港に到着してから酷い頭痛。
家に着いて掃除などをしていたら、悪寒で動けなくなり39度の高熱が出ました。
翌日病院で検査を受け、インフルエンザA型でした。
博多からお腹の調子を悪くし、旅の疲れで体力がマイナスのところにインフルエンザに感染し、治りも悪くて悲惨でした。
久しぶりにインフルエンザにかかりましたが、本当に辛いですね。
夫も疲弊していたので、もうこんなに移動するの旅はやめようと誓い合いました。
旅のプランニングは、余裕が必要だと痛感しています。

7.最後に、前回の一時帰国との心境の変化

そんな感じで2024年に突入しましたが、体力も戻って台湾の日常に戻れています。
前回の一時帰国より、心は穏やかです。
なんでだろう?と考えてみると、台湾で生活をしている中で、自分を責めなくなったことが要因な気がしています。
異国での暮らしは、言葉が通じず文化も違うので、些細なことでも焦ったり戸惑うことが多く、自分が何もできないような気持ちになって自分を責めがちです。
自分が望んだ訳ではなく、夫の仕事でたまたま台湾に来ることになった訳で、中国語が出来ないのは当然。
それでも中国語を勉強して、生活までしているのだから頑張ってるでしょ!?とある意味開き直ることも大事。
「自分は自分。日本にいた時の自分と何も変わってないよ」と気付くことができてから、気持ちが楽になりました。
台湾での暮らしは、必ず終わりが来ます。
期間限定だと思って、今の生活を自分なりに過ごせば良い。
そこで少しでも楽しみを見つけられたら更に良い、くらいの気持ちです。

日本に帰ると、空気の良さ、清潔なこと(道やトイレが綺麗!)、食べ物が安くて美味しいことを実感し、大好きな人や家族に気軽に会えること、大好きな街にいつでも遊びに行けることで、自分が自分に還る感覚があります。やはり日本は良いですね。

~変化の番外編~
台湾で一人で食事をすることが増えたせいか、日本で入りにくかった立ち食いうどん屋さんなど、どこでも躊躇なくさっと入れるようになりました。
日本だと言葉が通じて楽!

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。









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