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婚活バーで”自分”を証明するために必要だったもの

とある金曜日の夜だった。

同僚と飲んでいた私は一軒目の居酒屋のお会計を済ませて外に出た。まだ飲み足りなさを感じた私たちは二軒目を探すことに。しかしそこは金曜日の夜である。いつも行くお店はどこも満席で入れない。ふらふらとお店を探しているうちに、とある看板が私の目にふと飛び込んできた。

婚活バーだ。

どうして目に留まったかというと、別に僕がすごく結婚したかったわけではない。一緒に飲んでいた人のなかに、残念ながら人生の伴侶と別々の道を歩んでいくことを決意した人がいて、その話をしていたのだ。
彼は再婚を希望していた。これは何かの導きであろう。
そう考えた私たちは、早速“婚活バー”とやらの門をたたいた。

すると、お店に足を踏み入れる前にスーッと店員さんが近づいてきて、こう告げたのだ。

「お客様、何か未婚であることを証明できるものをお持ちでしょうか?」


これを読んでいるお客様(読者)のなかで、すぐに自分の婚/未婚の証明ができる人が何人いるのだろうか。

何かを証明することは非常に難しい。

僕はよくコーヒーを飲む。最近はコンビニで淹れるコーヒーが人気だが、僕は缶コーヒー派だ。なぜなら、味が好きなのではなく眠気がとれて集中できるから飲んでいるだけであり、缶コーヒーの方がカフェイン含有量が多い気がするからである。

しかし、それはあくまでも“気がする”だけであって、どちらがより効率的にカフェインをとれるのかは分からない。しかも僕がとても面倒くさい人で、「このコーヒーを飲んでも会議で寝てしまって怒られたぞ!どうしてくれる!?本当にカフェインが入ってるのか?」と店員に詰め寄っても、店員がカフェインの含有を証明するのは難しいだろう。

仮に、どこかの研究機関で調べられるとする。カフェインは何グラムですと機械が示してくれたとしても、機械を信用しない人には通用しない。

結局、我々の“証明する”ということは、お互いの信じる概念や価値観を持ち寄ることでしか、出来ないものなのだ。

缶コーヒーに記載される内容量。コンビニのHPに記載されるカフェイン含有量。
意外と、何も疑わずに信じているものが多いことに気付く。
全部疑っていたら、生きていけないから。

だから自分が未婚であるという当たり前の事実を疑ったこともなかったし、それを証明できる手段を持ち合わせていないことにも気づかされた瞬間だったのだ。

ガリレオは地球が太陽の周りを公転していることを証明できず、無念のまま死んでいった。

ガリレオのような天才でも、何かを証明することは難しい。一人の人生に与えられた時間で示せるものなど、ほんの少しなのかもしれない。
ましてや、誰にも共有できない価値観を“証明”できることなど稀だ。

ちなみに、未婚の証明は給与明細の”扶養の有無“を見せるだけで証明できた。
これも、我々が生きる現代の“行政”という概念を共有しているから証明できるわけだ。

普段、無意識のうちに信じている事も意外と証明できないことが多い。そんな気付きを婚活バーで得た。彼女は得られなかった。


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