見出し画像

習い事から形成された今


小学生のとき、授業の始まりの「めあて」から先生が何を言っているのか分からなかった。

その度に毎回「ねえねえ、今のどういうこと?」と友達に聞いていたのだが、今考えると本当にウザかったと思う。

それなのに「今はね、これをするんだよ」と優しく教えてくれていた。

授業参観に親が来ては、授業どころじゃないくらい嬉しかった。だから、授業中はほとんど後ろを振り返って親に手を振っていた。

そのくらい私は「授業」というものに興味がなかったし、なにが分からないのかも分からないというフワフワ浮いた気分で学校生活を送っていた。

そんな私を見て、親はやばいと思ったのか、小3から塾に入った。

毎週金曜日、17時から1時間半くらいの塾。

ストレスで喉に違和感を感じるくらい塾に行くのが苦痛だった。

「行く」より「行かされてる」感が強かったからだろう。ピアノは自分で「行けて」いたのに。

だから毎週金曜日になると、「ママ、頭痛い」と言い訳をしてよく休んでいた。せっかく月謝を払ってもらっていたのに…。

もちろん塾での内容もほとんど頭に入らなかった。塾にいる仲間たちはタイプが様々だった。

頭がいいから学校じゃ事足りず塾に来ている人。親に行かされてる人。

私のように学校でも塾の授業でも理解できずに、塾でポカーンと口を開けている人。

ある日の小テストで低すぎる点数をとった。その塾は点数が悪いと、なぜ自分がその点数だったのかをみんなの前で言わなければならない。(今だったら即潰れ)

私は立たされ自分の点数を言うと、塾の先生に頬をぶたれた。その瞬間から涙と震えが止まらず、テストを受けた教室には居られなくなった。

その後、泣きすぎてしゃっくりのようなものがとまらなくなった。その間は別の教室で過ごしていたのだけど、さっきの先生が私のところに来た。

「国語のテキストの文章を読んでいると少しずつ落ち着いてくるよ。」

いやなんだそれ、泣かせたのお前だろ。
いくら成績を上げるためと言っても顔を殴るのはヤバいだろ。

1ヶ月も経たないうちにその塾を辞めた。

一方唯一続いた習い事であるピアノの先生は、練習してなくても怒らず、伸び伸びとピアノをさせてくれた。

そのおかげでピアノを嫌いにならずに3歳から始めた今でも、好きで弾き続けている。

その先生のことをリスペクトしていたことも、継続できた理由かもしれない。

だって、塾の先生は勉強しろしろって言ってるくせに勉強してるとこ見た事ない。
ピアノの先生は、ピアノ教室が始まる前、いつも練習をしてるのが聞こえてくるんだもん。

小学生の私はそう考えていた。

私は強制させられる環境でこんなにも拒絶反応が出て、自由にできる環境で本領を発揮できるタイプなんだ。

でも、誰だってそうだ。

でも…でも、私は自分に妥協できないし、自分が嫌だと思ったことはやりたくない。やっちゃいけないこと(人を傷つけるとかルールを破るとか)以外は。

嫌だと思う範囲は狭めることもできない。

この考え方でいいのか苦しむこともあるけど、妥協せず尖らせていくことに意味があって、その先に自分の結果が出せればいいと思う。

このことに気づかせてくれたあの塾のハゲには感謝したい。今でも名前しっかり覚えているからな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?