たむらまゆこ@ライター

【文章で人と人の思いを繋げるライターになりたい】 …

たむらまゆこ@ライター

【文章で人と人の思いを繋げるライターになりたい】 大学3年~noteを始める▶︎ライティングって楽しい!▶︎就活ではやりたいものが見つからず苦戦▶︎やっぱり面白い記事を書いて人を喜ばせたい▶︎日々SEOライティングを勉強中✒️

マガジン

  • 社会に対するモヤモヤとか、色々

    社会の前にバイトにすら悩む人生 働くこと向いてない?!

  • 就活トピック📕

    就活って何?1年就活をし続けても分かりませんでした。 考えたら負け、嘘をつく者が勝つと言われても、私は考え続けるし嘘はつけない。

  • 言葉のモヤモヤ

    「今からそちらの方、説明させていただきます。」 「そうですね、そのような形になります。」 こういう言葉にいつもイライラしてます。

  • 物書きのこと

    いつか文を書く仕事につけたらいいな。 仕事と言うより、文を書いてたらそれが仕事になった位が丁度いい。

最近の記事

  • 固定された記事

「就活しないは逃げだ」って、それ逆じゃない?

まだまだ就活をしたくない。就活をしたくない理由はたくさんあって、並べればキリがないほどだ。 みんな当たり前のように学校を卒業して、次の進路のために勉強するのだけど、就活をするとなると、自分の長所や経験を振り返ることになる。 中学校でも高校でも平均的な学力を求められ、「勉強ができる人がすごい」「家でも勉強をたくさんやる人が偉い」という中で過ごしてきた。 中高生のときは「勉強をする」という意味を、履き違えていたように感じる。 勉強をする意味は、親のためでもなく、先生から評

    • 10月の出来事を描きました

      • 友達に、今こんな生活をしてると、話をしたら「私だったらそんなの耐えられない。死んでるわ笑」って言われてイラついた。 がむしゃらに頑張っていても、そう映る人もいるのか、と。 ある人には、「カッコイイ生き方だね!」と言われた。 捉え方は人それぞれ。 カッコよく生きていこう。

        • 体とメンタルの関係性を知って、考え方の歪みがマシになった話

          少し前からよく聞くようになった「自己肯定感」という言葉。 私はこの言葉があまり好きではない。自己肯定感が高ければ高いほど良いとは思わないし、「自己肯定感を上げるための考え方」という教えも嘘くさくて好きじゃない。 自己肯定感なんて、そう簡単に満たされるものではないし、執着しすぎていたら、目の前のやるべきことができなくなってしまう。 自己肯定感を上げるためにやったことは、本心で自分がやりたいことなのか?と不思議に思うのだ。 そんなことを言う私は、自分に自信がない。 最近、

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        • 10月の出来事を描きました

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        • 就活トピック📕
          10本
        • 社会に対するモヤモヤとか、色々
          35本
        • 言葉のモヤモヤ
          4本
        • 物書きのこと
          11本

        記事

          好きなことを仕事にする≠やりたいことができる

          文章に関わる仕事をしたい。ライターになりたいんだ。 という夢を色んな人にサポートしてもらい、強引に実現させた今、分かったことがある。 夢が叶ったからと言って、やりたいことを自由にできるわけではない。 仕事内容にもよるけど、これがやりたかったんです!みたいなキラッとした瞬間は一瞬あったら良い方で、ベースは作業に近い。 今私がやっている案件は、読み手が欲しい情報をただただかき集めてくる業者のようだ。 やりたいことを思い通りに自由にやって、お金がもらえる人なんてひと握りなの

          好きなことを仕事にする≠やりたいことができる

          私がライターになるまでの話

          前は毎日のようにnoteを書いていたが、Webライターの仕事に集中していて、なかなかnoteで書けていない。 毎日は同じことの繰り返しで、刺激が欲しくて何か特別なことを探していた。 夕方にどこか出かけようかと思うけど、18時まで作業してその後散歩をするとなると、帰ってくるのは19時前とかで そこからお風呂に入ってからご飯を作ると、寝るのも遅くなって早起きができず、生活リズムが乱れてしまう。 結局今日も特別なことは何も出来ずに終わってしまった。明日もおなじ一日が始まるの

          私がライターになるまでの話

          自分の意外な弱みを自覚した日のこと

          生活はすっかりWebライターらしく変化した。 毎日パソコンと向き合い、SEOライティングをしていると、「あれ、私これがやりたかったんだっけ?」という漠然とした不安が消えていた。 目指すところはSEOライティングをすることではないけど、自分の目標へと正しく進んでいる自信が今はある。 前までは、毎日心ここにあらず状態だったから、抜け殻みたいに生きていた。 今は、これでいいんだという自信と自分はこれで生きていくぞと吹っ切れたから、地に足着けてライティングをやれているのだと思

          自分の意外な弱みを自覚した日のこと

          気にしすぎ、考えすぎる自分にイライラ

          「考えすぎだよ」「もっと気楽に考えようよ」 生きていて何度も言われた言葉だ。私だって好きでこんなに考えている訳じゃない。 嫌なことがあったり嫌いな人となにかあったりしら、家に帰ってまでそのことをぐるぐると考えてしまう。 今頃そいつはアイスとか食べてるから、気にしない方がいいよ。という意見を聞いても、気にしてしまうからもっとしんどい。 そいつのせいで自分の時間を取られてると思うのも、またしんどい。 なぜこんなに気にしすぎてしまうんだろう。考えすぎてしまうんだろう。

          気にしすぎ、考えすぎる自分にイライラ

          生活にゴールはないし、ご褒美もない

          嫌なことは続く。 嫌なことのせいでやりたいこともできなくなってしまう。 みんなどうやって上手く生きてるんだろう?と疑問に思うし、今までよく生きてこれたな自分。とも思う。 仕事も友人関係もお金も全く上手くいかない。 上手くいかないことが続くと、自然と自信がなくなっていく。 そんな矢先、人に怒られることがあった。自分の非を受け入れるのも、言われたことがその後もずっと脳内で再生されるのもしんどい。 完全に自信をなくし、やりたいことさえ見失いそうになった。 そういう時に

          生活にゴールはないし、ご褒美もない

          世の中に求められる人材を眺めて思うこと

          やりたいことがあることは素晴らしいことだ。 でも、やりたいことがあればあるほど、現実を受け入れられなくなる。 私はそう思っていて、文章を書くこと以外のバイトとか仕事内容に全く情熱を持てない。 こんなどうしようもないことを言い続けて、もしやりたいことが中途半端に終わってしまって、普通に就職することになるという結果になるかもしれない。 でも夢を諦められないから、ひたすらやっている。 バイトをやっていると、自分のやりたいことを優先するような人は世の中にいらないのではないか

          世の中に求められる人材を眺めて思うこと

          何歳まで若いうちに入る?やりたいことをやれるのは何歳までか

          ライターになると決心して実現するために行動しているが、その一方で生活費に使うために労働をしないといけない。 自分がやりたいことを見つけてから、新卒として就職することを捨てバイトをしていると、ふと思い浮かぶことがある。 いつまで自分のこと若いと思えるのだろう。 私はやりたいことを優先しているが、周りの友達のほとんどは自分の将来やお金のために働いている。 自分はこれでいいのか?という気持ちはないが、自分の年齢を考えると、急に年齢がプレッシャーに感じるようになってきた。

          何歳まで若いうちに入る?やりたいことをやれるのは何歳までか

          そろそろ私のペースで進みたいのです

          私は小中高ほとんど学校を休まなかった。なぜなら、周りに置いていかれるのが嫌だったから。 地頭が大して良くないと自覚していたので、人より倍努力しないといけないと思っていた。(その割には勉強しなかったけど) 勉強はしなくとも、授業だけは遅れをとってはいけない。そういう強迫観念から、周りのペースに必死にしがみついていた。 浪人していた時も、同級生が楽しそうなキャンパスライフを送っているのを見て、焦った。 みんな人生を進めているのに、自分は時間が止まったままだ。 しかし最近

          そろそろ私のペースで進みたいのです

          誰かのために生きるか何かのために生きるか

          誰かのために生きたいと思ったことはあるだろうか。 お母さんが悲しむから、家族のために、恋人のために。 私は、誰かのために生きたいと思ったことがなかった。自分の夢ややりたいことのために生きている思いの方が強い。 他人に対して自分の生命価値を見出していないというか、何のために生きるかなんてこともあまり考えていない。 でもぼーっと生きているかと言ったらそうではない。授業中に何度も「田村!聞いてるのか!」と注意された私でも、色んなことを考えて生きている。 毎日文章についての

          誰かのために生きるか何かのために生きるか

          自分のことを大切にしろと言ったり、自分のことばかり考えるなと言ったり

          私は昔から自分について考える時間が多い。 自分の健康に気を遣ったり、自分の将来について考えたり。こうしてnoteに書いていることも、ほとんどが自分に関することだ。 そうやって生きていると、どんどんプライドが大きくなっていることに気づいた。 自分のことを考えれば考えるほど、自分の得意なことに気づき、嫌いなことに気づく。 嫌いな物を自覚することで、嫌いな出来事が起きると過剰に反応してしまい、自己防衛をしようとする。 譲れないと分かっているから、絶対に譲るまいと執着してし

          自分のことを大切にしろと言ったり、自分のことばかり考えるなと言ったり

          役所巡りはつづく

          役所って一日で手続きが終わらない。(アンタだけだろ) 私の確認不足でしかないが、「申し訳ございません。こちらの書類だけでは手続きが出来ないんですぅ。」 そのような事を言われた瞬間にイライラが止まらない。自分自身にイラつくと共に、せっかくここまで交通費をかけてきたのにまた来ないといけないのか!とイライラするのだ。 もう次来る時はチャリで来よう。そう決めて、電車で帰るのだが、恐らく次に区役所に来る頃には梅雨に入っているだろう。 クソ!なんでこんなに手続きがめんどくさいんだ

          書くことが義務にならないように

          「文章を書くことのどういう部分が面白いの?」 「文章書くことって私にとっては苦手だから、何が楽しいのか分からない。」 書くことを始めてからというもの、そういうことを聞かれることが何度かあった。 私は文章を書くことのどの部分が好きなのだろう。 自分の気持ちを言語化して、ひとつのモノにするという所にワクワクを感じていたが、それだけじゃない気がしてきたのだ。 みなさんは、これをやっていてアドレナリンめちゃくちゃ出るわ!痺れる!という感覚を持ったことがあるだろうか。 私は

          書くことが義務にならないように