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自分の意外な弱みを自覚した日のこと

生活はすっかりWebライターらしく変化した。

毎日パソコンと向き合い、SEOライティングをしていると、「あれ、私これがやりたかったんだっけ?」という漠然とした不安が消えていた。

目指すところはSEOライティングをすることではないけど、自分の目標へと正しく進んでいる自信が今はある。

前までは、毎日心ここにあらず状態だったから、抜け殻みたいに生きていた。

今は、これでいいんだという自信と自分はこれで生きていくぞと吹っ切れたから、地に足着けてライティングをやれているのだと思う。

大学時代に心を許せる友だちがろくにできずに、一人で過ごす毎日を送って悶々としていた。

そんな気持ちを何かに表現したい、昇華したいという一心でnoteを始めた。マイナスから始めたものが、今は仕事につながっているから不思議だ。

マイナスなことだからと自分の中に気持ちを閉じ込めずに、発信してみると、意外な方向へ道が開けるものだと実感している。

noteでは散々社会への愚痴や、正直な気持ちを書いていた。しかし、社会の暗黙のルールや当たり前に縛られていたのは、自分だということに気がついた。

それを自覚したときは、恥ずかしすぎる!と悶絶した。

社会への不満をぶちまけ、そんなの気にするな!と強くなっている気になっていたけど、それは虚勢を張ってたってことじゃん…。

さらに、「好きなことをやるなんて甘えだ」とか「ちゃんと働かないと」という自分の中の悪魔の声的な存在は、親の声だということにも気づいた。

就活が上手くいかない頃から、自分の弱みを見つけては、自分で自分を責め立てていた。

それを防御するように、「そんなことない」「自分はやれているんだ」という意見を書き殴っていた。

その度に、自分の弱みを掘り返されているような感じだったのだろう。書いているときは自覚してなかったけど。

自分で自分の首を絞めていることを気づくのに時間がかかったが、今のうちに気づけて良かったと思う。

この状態から脱する方法をまだ見つけられていない。自分の弱みを受け入れ、自分で自分を認めることが第一歩だと思う。

誰かにマイナスなことを言われても、その言葉によって自分の価値が変わるなんて思わなくていい。「あなたはそう思うんだね」のように、人の意見を事実として受け止められる。

自分の敵は自分なんだと、向き合ったからこそ見つかった課題だった。

すべての物事に一喜一憂しすぎずに、堂々と構えて生きていこうと思う。

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