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「就活しないは逃げだ」って、それ逆じゃない?

まだまだ就活をしたくない。就活をしたくない理由はたくさんあって、並べればキリがないほどだ。

みんな当たり前のように学校を卒業して、次の進路のために勉強するのだけど、就活をするとなると、自分の長所や経験を振り返ることになる。

中学校でも高校でも平均的な学力を求められ、「勉強ができる人がすごい」「家でも勉強をたくさんやる人が偉い」という中で過ごしてきた。

中高生のときは「勉強をする」という意味を、履き違えていたように感じる。

勉強をする意味は、親のためでもなく、先生から評価されるためでもなく、テストで良い点数をとるためでもなく、受験に合格するわけでもなく、自分のためにやるのだ。

自分のためにってよく聞くけど、それってどういう意味だろうと考えたことがある。

自分のためとは、自分自身の人生に納得しながら、突き進んでいける自信と責任を持つことだと思う。

だから、小さいうちから色んなことに挑戦して、自分に向いていることや得意なことを探すのだ。しかし、勉強という分野は閉鎖的なもので、「勉強ができるかできないか」のみで、能力が測られる。

数学が苦手で、点数が低ければ、「数学の苦手をカバーできるようにしていきましょう」と言われ、点数のいい国語には目も向けず、5教科の点数を均等にするアドバイスをされる。

そりゃあ均等に点数をとって、大学に進学させることが先生たちの目的だったのだろうし、そうした方がいい大学にも行けて、レベルの高い人たちと出会うことが出来る。

でも、それは大学受験に合格させるためのアドバイスであって、自分のためになる勉強ではないのでは?

勉強をやってなんぼの世界で10代を過ごし、自分の就職について考えるときが来ると、「今まで頑張ってきたことは何ですか?」「自己PRをしてください」と言われる。

平均的な能力を求められ、その中で個性を潰すかのように勉強をした末に待っているのは、「自分を売ること」なのである。

みんなより劣らないように、秀でないようにと揃えられた鉛筆たちは、商品化されるときに、「この商品の売りはなんですか?」と聞かれる。そんなこと答えられるはずがないのだ。

にもかかわらず、面接で尖ったような発言をすると、面接に落とされるのである。

色んな矛盾を感じながら、就活を継続するのは、私にはとても難しいことだった。

だから、就活に対する疑問を持っていても、我慢しながら就活ができる人や、面接官の前でしっかりと模範解答ができる就活生が心底羨ましい。

就活するとなると、自分の自己PR を言いながらも、個性を出してはいけない。毎月もらえる給料と引き換えに、自分らしい自分でいることを捨てたのである。

ほとんどの人は、元々やりたいことがなかったり、それに振り切ることができなかったりするから、就活に意味や価値を見出して、未来に投資しているのだと思う。

しかし、大学4年生で就活をするということが一般化された今、自分が本当にやりたいこと見つけられなかったから、就活という手段を使って進路を決めているのではないかと感じる。

その手段が夢でも憧れでもなんでもいいのに。

私はやりたいことを見つけてから、就活をやらないデメリットを取ってでも、やりたいことをやりたいと感じ始めた。

人間は、本当にやりたいことを見つけたら、就職して手に入れられるものを捨ててでも、そこに突き進んでいく性質を持っていると思う。

やりたいことや自分に向いていることを見つけられないから、就活をして仕事を始めて、お客様からの感謝や自己成長をやりがいとして見出す。

その生き方は、本当にやりたいことなのか?
死ぬ前、この人生で良かったと思えるのだろうか。

就活生が人事の顔色をうかがわずに、本当にやりたいこと、自分がありたい姿で面接に挑めるような日が、日本にはやってくるのだろうか。

なんて、何者でもないただの大学生の独り言でした。

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