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座繰りを体験する

着物の「糸」づくり

着物が好きな方には説明する必要もないようなことだが、一般的に「呉服」と呼ばれる絹の着物には、蚕の繭からとった糸を、①糸の状態で染色し、その後に織り上げる「先染め」と呼ばれるものと、②糸をまず製織し、白い反物「白生地」の状態にしてから染色する「後染め」と呼ばれるものが存在する。

その「後染め」呉服の土台となる「白生地」、さらにその構成単位となる「糸」を作る作業を体験してきたので、そのご紹介と共に、素材づくりの面から呉服の面白さをお伝え出来ればと思う。

呉服や和服と聞くと、何だか洋服に比べて手づくりっぽい感じがする(私だけ?)が、現在、生産されている後染め呉服は、ほとんどが自動化された機械式の繰糸器によって繭から糸を取り(繭は機械式になりません笑)、電動の力織機によって製織された白生地に、機械や人力で模様染めなどの加工を施して、ミシンや手縫いで仕立てられ、流通・販売されている。

今回は「座繰り」ということで、明治以降急速に機械化されて行く少し前に発明された「上州座繰り器」を使って、人力で繭から糸を取る体験をさせていただいた。

なぜわざわざ「座繰り」なのか?

前述の繰り返しになるが、現在生産されている呉服のほとんどは機械繰糸によって作られた(と言っても絹は絹なので天然素材です)糸で織られている。にも拘らず、なぜ旧時代の遺物とも言えるような「座繰り」を体験しようというのか?

実は前職で扱っていた商品の中にも、この「座繰り」によって人力で繰糸された糸を使って織られた白生地が、わずかながら存在した。「座繰り」だとか「手織り」だとか言うものは、現在では個人作家が手掛ける趣味性の高い工芸品の分野で語られることが多く、どちらかといえば「先染め」の業界で耳にする用語だと思うが、我々のような「後染め」業界にも座繰り糸の白生地が無いわけではないのだ。

糸づくりと生地の風合いがどのように関係するかについては、私よりも詳しく語ってくれる人がいくらでも存在するので、ぜひ色々な方の知見を調べてみて欲しいのだが、座繰りで糸を取ると、機械繰糸の場合と比較して、様々な要因から均質的な糸には仕上がりにくい。

経糸に使用すれば経方向に「サシ」が出て、染めた後も生地上に線のように現れてくる。また節なども出やすいため、やはり生地になった時に目立つポイントとなる。そしてそれらの要素は「全面にムラなく均質的で傷や汚れの無いもの」が「良い」とする価値観の下では、検品の際に「難物(なんもの)」として評価減の対象になってしまう(逆に言えば、機械の方はそうした価値観に沿う糸・反物を作るために進化して来たとも表現できる)。

ところが、ここが最も大切なポイントだが、私自身は全面にそうした自然な「サシ」の出る白生地が好きで、そちらの方が上質な生地に思えたのである。これは私の師匠となった前職の経営者の影響(あるいは刷り込みの結果)である事は間違いないが、だからと言って認識を改めるつもりにはなれない。

無論、糸づくり・白生地づくりには、繰糸法だけでなく蚕種や繊度、織物の組織や精錬や仕上げ処理の方法など、様々な要因が複雑に絡み合っているため、手放しで無条件に「座繰りが良い」とか「機械はダメ」という訳では全くない。前述の生地も、最も大きな特徴が「座繰り」という点にあっただけで、他の作業工程における創意工夫も全てが必要であったことは言うまでもない。

だいぶ話が逸れてしまった。要約すれば私は「座繰り糸」を使って織られた白生地が好きだったのだが、一方で「座繰り」というものがいかなる作業なのか、その実地を見たことがなかったので、ご縁を得て体験させていただこう、となった訳である。

電気鍋で繭を炊く

上州座繰り器、と煮繭用の電気鍋

今回使う道具は上の画像にある「上州座繰り器」と呼ばれる器械である。右側に見える黒い円形の物体は、一般家庭の食卓で見かける普通の電気鍋である。ここに蚕の繭を多数投入し、いっぱいの水で煮ることで絹糸を接着しているセリシンが溶解し、糸を取ることができる状態になるのだ。
ちなみに、繭から糸を引き出す際、竹箒のようなもので繭の表面を撫でるのだが、そこに引っかかってくる糸の端のことを「糸口」と呼ぶ。会話の糸口、とか解決の糸口、とかいう表現はここから来ている。通常、繭は一本の糸が繋がって出来ているので、糸口さえ見つければ後はスルスル解けていく、という訳だ。

蛇足ながら、当然のごとく江戸時代に電気鍋は存在しないので、火を使って湯を沸かしていた筈だが、あまりグツグツと沸騰させ続けてしまうと、今度は繭が傷んでしまい糸が取りにくくなる。そこで湯温を適当なところに保つ必要があり、その為に電気鍋は便利なので、今回も使用しているのである。

多くの人には見慣れない光景だろう…

何本かの糸を合わせて一本の「生糸」に

ちなみに、少し専門用語が入るが、現在絹織物の原料として養蚕されているメジャーな品種の蚕では、一つの繭を構成する糸の太さは大体3デニール程度とされているが、そのままではあまりに細すぎて実用に耐えず、実際には幾つかの繭から取った糸を合わせて「生糸一本」とするのである。刺繍糸などに使われる細い糸も、21中(精練前の状態で平均して21デニールの太さ)の生糸を8本とか12本とか撚り合わせて、それを「一本」として扱うのだ。
ティッシュペーパーを1枚取ってみると、実は薄い2枚で構成されている…というのと同じような感覚である。

電気鍋で炊かれた幾つかの繭から糸口を見つけて引き出し、鼓車と呼ばれる機構を通して一本の糸に合わせ、糸振りとか綾振りと呼ばれる部分を経て、座繰り器上部にセットした糸枠に巻き取っていく。

左手で回す歯車と糸枠の動きに連動して、鍋の中で繭がコロコロと踊る。作業に参加していない繭はじっとしているので、どの繭から糸が出ているのかが分かる。弓の部分で糸が集約され、放射状の美しい幾何学模様が現れる。

参加する繭の数が多くなれば壮観である

何せ経験のない素人がやることであるから、途中で糸が途切れたり、キビソや節が巻き取られたり、とても実用には耐えないような糸ではあるが、少しずつ糸枠に巻き取られていく。何か不具合が起きれば直ぐに処置をしなくてはならないので、僅かな間も気を抜けないのが本当だが、木製の歯車の回る音と、糸振りが左右に振れる際の軋みを聞きながら、いつまでも無心に回し続けていたくなる。

そうこうしている内に、ある程度の量の糸が取れてきた。同時に、鍋の中の繭もいくつかは透明になり中の蛹が透けて見えるほどになった。
指先ほどの小さい茶色の蛹が見えるにつれ、あぁ、本当に蚕の繭から絹を取っているんだ、と今さらながら実感が湧いてきた。

虫が苦手な私だが、不思議と嫌悪感はなかった

大変な仕事

そのようにして小一時間ほど作業しただろうか、糸枠を座繰り器から取り外し、しばらく糸を自然乾燥させる。
糸振りによって巻き取る位置が左右に振り分けられていくので、結果的に美しい綾が現れ、これだけで何かインテリアにでもなりそうな気がしてくる。

取り外した糸枠を横から

しかしながら、前述のようにこれでは糸質として実用に耐える状態ではない。更に、着物の白生地にする為には一反当たり15メートルほどの長さが必要であり(普通は20反とか30反分の経糸を一ロットとして作る)、それを経糸だけで3000本とか4000本用意する必要がある。もちろん緯糸も必要だ。
一体何万粒の繭が必要なのか、ということもあるが、全ての糸を座繰りで取っていくとなると、どれだけの手間が必要なのか。それも作業中に糸の太さにムラが出ないよう、汚れや節を巻き取らないよう、常に目を光らせていなければならない。これは大変な作業である。

明治の人たちはこれが機械化・自動化された時、さぞ嬉しかったことだろう。と想像するが、かの名作「ああ野麦峠」の世界を鑑みるに、嬉しかったのは糸を「作らせている人」だけだったかも知れない。現代の自動繰糸機を用いた製糸工程においても、不適格な繭が混入したり、節が出たり、糸口のない繭が溜まったりして、機械が正常に動作しなくなるのを、かなりの人手を用いて都度修正しながら糸を作っているらしい。結局は蚕の繭という天然の原料を用いるが故のことであるが、機械で効率が上がったとしても品質を安定させる為には人の目と手が必要なのだ。

体験を終えて

座繰りの糸づくりというのが如何に難しく、大変なものか、今回の体験を通じて身に沁みて分かった気がする。と同時に、機械製糸の「良さ」と、その「良さ」を得る上での技術的な制約と限界、そしてその制約に捉われないが故の座繰りの「良さ」や、可能性というものも見えて来たように思う。

大切なことは単純に作業主体が「人か、機械か」ということではなく、それぞれの手法で「出来ること」「出来ないこと」を正確に見極めて、それぞれの得意を生かしたものづくりを実践することである。機械の方が安くて上手に出来ることを、人間が手間暇かけて同じようにやることに、第三者的な意味はない。

だが、気をつけなければならないのは、機械でも人でも「同じことをやっている」ように見えることでも、微妙に結果が違うこともある、という事実である。その小さな違いが決定的な違いであるならば、無理をおしてでも手仕事を貫くべきであるし、それを守る為の努力は最大限なされるべきである。
しかしそうで無いならば、潔く淘汰されていくのも、自然なことであると思う。

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