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なぜ蜘蛛の糸が切れたのか?

前回の記事「5月のメッセージ」について質問がありました。
補足があったがいいかな?と思ったところでしたので書いておきます。

芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」では、お釈迦様がおろした蜘蛛の糸を登っていたカンダタが、自分の下にたくさんの罪人が登ってくるのを見て「降りろー!」と叫んだら、糸が自分のところからプツンと切れて、また地獄に落ちてしまったという話です。

私はそういうことはしないと思っていても、その時にならないと自分がどういう行動に出るかはなんとも言えません。しかしそれについて考えることはできます。

「自分がどう行動したらいいか?」を考えるのではなく、「それはどういう状況で、何が起こったのか?」と全体のつながり(縁起)の中での関係性について考えましょう。そうすると、自分がどうすればいいのかが見えてくるでしょう。

5月のメッセージ

この部分への質問でした。質問は、

>「それはどういう状況で、何が起こったのか?」
と全体のつながり(縁起)の中での関係性に
ついて考えましょう。

これは何かが起きてからのことを仰っているのですか?
それとも今の自分の心構えのようなものですか?


ここでは『蜘蛛の糸』の小説になぞらえて言っているので過去形になっています。実際は、なにかが起きてからと、起きる以前の心構えのどちらにも言えます。

いろんな角度から考えるようにしていると、何かあった時でも即座に適切な対応ができます。そのクセをつけておくと良いという話です。

『蜘蛛の糸』を例に挙げれば、

なぜ蜘蛛の糸が切れたのか?

カンダタが糸を独占しようとしたから切れた。
自分だけ助かろうとしたから切れた。

という教訓が書かれているととる人は多いと思います。

そのような教訓を得たら、自分はそのようなことはするまいと思います。
しかし日頃からそのようにふるまってないと、いざという時に急にできるものではありません。

しかし違う見方もあります。

実は罪悪感が引き起こしたこと?

糸が切れたのは、カンダタが糸を独占しようとしたからではないかもしれません。独占しようとしたこと、登ってくる他の罪人を地獄に戻そうとしたことで、自分だけが助かろうとしたことに一瞬、罪悪感が生じたのではないか?とも考えられます。自分一人が助かってもいいのか? あるいは、再び地獄に落ちる自分を想像してしまったかもしれません。
地獄を脱出できるかどうかの瀬戸際ですので、あらゆる思いが一瞬に駆け巡ります。

糸を独占しようとしたから切れた、だと天罰が下った感じです。

罪人ですが、蜘蛛を助けたことがあったのでお釈迦様はカンダタの前に蜘蛛の糸をたらしました。どこかにまだそういう善良な心が残っていて自分一人が助かることに躊躇を感じたとしたら?

糸が切れてもしかたないかなーと思ったりするわけです。
 ↑ こう思うのはなぜか?ということも考えてみたいです。

そうなると違う教訓が出てきます。

助かりたければ罪悪感を持つな、良心を捨てろ。
まずは自分が助かることだけを徹底的に考えろ。

などにもなります。自業自得とは逆の意味合いになります。

いろんな関係性を読み解いてみる

もっと全体的な関係性の中で、この出来事を見ることもできます。

お釈迦様はなぜ糸を垂らしたのか?
なぜ落ちたカンダタを見捨てたのか?
カンタダのそれまでの人生とは?
地獄とは何を表すのか?
罪とは?罪人とは?
作者は何を伝えたかったのか?

など、いろんな立場、いろんな角度から見ていくといろんな読み取り方ができます。

この小説の主役はカンダタですので、彼を中心に考えがちですが、事象として何が起きているか?を全体的にとらえてみると、いろんな含みが見えてきておもしろいと思います。

小説にしろ絵画や映画などにしろ、良い作品は一つの答えだけでなく、いろんなことが示唆されていますから含蓄深いものになります。『蜘蛛の糸』は実によくできた短編です。

あらゆる角度、いろんなつながりや関係性からみるようにすると、違う視点やパターンが見えてきます。善か悪か、敵か味方か、正しいか間違ってるか、という見方ではなくなり、もっと違う視点から世の中が見てとれます。

世の中のカラクリや仕組みを読み解いてみる

そういう視点は、今の世の中を見るうえでもますます必要になってきています。

いろいろ見えてくると、最初はこんがらがったり、迷うこともありますが、世の中の仕組みやからくりが見えてくると、そこにどう乗っかっていくのか、あるいは、離れていくのか?を考えることができます。

あれこれと複雑に考えなさいということではありません。いろんな可能性を想定できると選択肢も増え、感情が揺さぶられることが減ります。

それらを経て、自分なりの基準を持てば、迷うことは少なくなります。

一つの教訓だけを得て「だったら私はこうする」となると、すでに得ている教育や常識、既存の価値観のもとで決めている可能性があります。

ではなくて、想定できるあらゆる角度から見る方が違う価値観も見てとれるし、この世界の仕組みなども見えてきます。

本やマンガ、映画などをたくさん見ている(読んでいる)人は様々な価値観や考え方、人物像、ストーリー、パターンを見てるので、自分の中にストックがたくさんあると思います。もちろん自分の人生経験も。

それは強みになりますね。


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