森に学べ
人はいつから忘れたのだろう?
私たちも森の一部だと。
森へ行ってみるといい。
日が照り、土があり、木が生い茂り、水がある。
その中で、鳥が、虫が、動物が調和の中で生きている。
すべては循環の中にある。
死体や腐った木々などは、土に戻り、新たな生命のための肥やしとなる。
多くなりすぎたものは自然と自滅し、他を養うために自ら食べられたりもする。
もし、あなたが一匹の虫であり、「一匹の虫」という自覚があったとしよう。
殺されまいと必死で戦うかもしれない。
でも、あなたが森であったとしよう。
あなたの中に一匹の虫が存在している。
あなたは森でありながら、虫でもある。
あなたが森であるのなら、この森を保つためには、この虫の繁殖を防がねばならないかもしれない。
この虫は、他の生物に食べられなければならないかもしれない。
でも、この虫が、自分の本体はこの森だと知ってれば、自分の肉体がなくなることにあまり執着はしないだろう。
なぜなら、森自体を生かすことが自分を生かすことになるのだから。
人間以外の他のものはみんな知っている。
自分もまた森なのだと。
森を保つために、自分の身を捧げることなど当たり前のことなのだ。
そもそも、捧げるという言葉自体が人間の発想だ。
ひとつであるものにどうして身を捧げることができようか。
大きな生き物が小さな生き物を食べる。
これは弱肉強食の世界なのではなく、相互依存の世界なのだ。
あなたも私、私もあなたなのだから、食べられることは同化することだ。
死ぬことは、借りていた肉体を大地に戻すことだ。
それにより、新たな生命の循環に貢献する。
本来、ここに悲しみも憎しみも恐れもない。
人間も、昔はこのことを知っていた。
だから「母なる地球」と呼んだのだ。
いつかしら人間は森と自分を分離させた。
地球と自分を分離させた。
自分の身を助けるためには地球を殺しても良いと思うようになった。
でも地球を殺してしまえば、自分らもまた生きていけはしない、、、。
それに気づいているのは、今だにごく少数だ。
人間もまた地球そのものである。
地球上に生きている生物ではなく、地球そのものである。
ただ、それを知る者は少ない。
(pb150308)
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