見出し画像

私たちはイメージの世界に生きている

価値観が大きく変化する時はそれを楽しもう

私たちは面白い時代に生きているなーと思います。時代の移り変わりを直に体験できるのはエキサイティングですね。

ずっと同じ価値観の世界にいると、それが正しいと思ってしまいがちです。今はどんどんと今までの価値観や常識が崩れてきています。そして今までないがしろにされてきたことが大切なことと言われるようになってきました。

男性原理の時代から女性原理の時代に移り始めていますから、全然変わってきますよね。時代の変化をあらわに体験することで、今までどれほど洗脳されていたかに気づきます。

「洗脳」というと言い方が悪いので、「教育されてきた」「信じ込まされてきた」と言い換えましょうか。教えてくれた人が洗脳しようと思ったわけでなく、その人もまたそうあるのが正しいと思っていたでしょう。

「信じ込まされてきた」というと被害者意識っぽく聞こえますので、「それを信じることに同意してきた」と言い換えましょう。だから自己責任です。なんだかんだと言いながら、そこに甘んじてきた自分がいます。時代の変化をありありと見てしまうと、虚構を信じてきたんだなと感じます。

すべてはイメージでできている

国家や社会も幻想です。すべてはイメージでできています。日本とはこういう国、日本人とはこういう国民、現代はこういう社会、お金とはこんなもの、学生とはこういうもの、働くとはこういうこと、男とは、女とは、、、というふうに、多くの人が信じているイメージがあります。

そのイメージの多くは誰かが決めたり、仕込んだことです。彼らがコントロールしやすいように、としたこともあれば、本当に人のためを思ってしたこともあるでしょう。

それらは絶対的なものではありません。時代が変われば変わります。一つの時代が長く続くと、それがあたかも唯一無二の真実で、それ以外はあり得ないようにみんなの心の中に住みつきます。「こうあるべき」と。

それが常識や教えになります。それに賛同して信じることができる人にとっては、それは良いことに思えます。それに同意できない人は生きづらさ、やりづらさを感じます。社会全体がその流れであれば、それに沿う方が波立ちません。違和感を覚えながら、時には抗いながらも、それに従うかたちとなります。

今は大きく時代が変わりだしている時なので、今までの価値観や常識が崩れてきています。私たちが信じていたものは、ひとつの時代を象徴するものでしかなかったんだなということをありありと見せつけられています。

それをおもしろいと思うと同時に、私自身はずっと違和感を感じ続けてきた側なので、「今までの葛藤は一体、、、」となんだかやるせなさは感じますね。今頃生まれてきてたら、もっとのびのびとやりたいようにできただろうなと思います。

もちろん時代や環境のせいにできない部分もあります。もっと自分の好きに生きようと思えば、波乱万丈になったとしても、できないわけではなかったので、それを選ばなかった自分がいたということです。

信じたことが現実となる。

言い換えれば、虚構の世界。

すべては虚構、幻想、イメージであるから、それぞれの個人が信じるものに沿っていけばいいことになります。パラレルワールドというか。

物質の時代から波動の時代へ

可能性としての世界はたったひとつではなく、無数にあります。瞬間瞬間に新しい世界が作られています。固定化された世界にいる必要はなく、自在に移り変わることができます。

今までの時代は個体化、固定化の時代でした。最近よく「地の時代から風の時代へ」ということを聞きます。今までは物質として存在するものを重視して、それゆえに肉体の死に恐怖を感じ、見えないものを軽んじた時代でした。

「地の時代から風の時代へ」を言い換えれば、「物質の時代から波動の時代へ」となるのではないでしょうか? 波動はエネルギー、情報と言い換えてもいいです。「見えるもの中心から見えないもの中心へ」という言い方でもいいでしょう。

意識のパラダイムシフト

天動説から地動説に変わるぐらいのパラダイムシフトが意識レベルにおいて起こり始めているのを感じます。私たちが経験している現実は実体があるわけでありません。夢を体験している時のように、あたかもあると思い込んでいる状態です。

先に物質界があって私たちやこの宇宙があるのではなく、意識がそのように像を結んでいるから、今、目の前にその世界が存在しています。

だんだんとこのように考える人が増えてきて、そのうちそれが一般的になるのではないでしょうか? そうなるとずいぶんと世の中が変わりそうです。

自分の視点から見た世界を現実として体験するなら、自分の見方、受け取り方が変われば、外の世界も変わることになります。外の世界は確固として実在しているものではありません。だからこそ自分という軸を整えていくことが大切になります。自分の見方次第ですから。

偉大なリーダーは未来ビジョンを明確に掲げる

「いい大学へ行っていい会社に就職すれば、人生安泰」というのも一つの集団幻想でした。「欲しがりません、勝つまでは」というフレーズが流行った時代は、国家によって集団幻想がかけられていました。

国家にしろ教育にしろ、常になんらかの幻想を掲げます。それはその時の正義やニーズに基づいています。

「We are going to the moon!」「我々は月に行く」とケネディ大統領は言いました。新たな可能性に向けて人々を鼓舞させた幻想でした。みんなが月に行くことや、不可能を可能にする夢を見て、そこに自分に投影しました。自分も不可能を可能にできるのではないか?と夢見たのではないでしょうか?

「1000曲をポケットに」とスティーブ・ジョブズは言って、私たちのライフスタイルを変えました。

偉人やリーダーは人々に夢を見させます。だからこそ人は従います。実現するかもしれない、私もそこに関わりたい、応援したい、リアルタイムで観たい、と思います。

想像できることは創造できる。想像できなければ創造できない。

未来のイメージを作り出すことができるのは人間の大切な能力のひとつです。その能力がなければ、現状維持を続け、進化進展はありません。

「幻想を観る」、言い換えれば「想像する」こと。想像することは創造できます。想像できないものは創造できません。思い描けないのだから。

だから何を想像するかはとても大事です。長い間、私たちは誰かが「創造」したものを「真実」あるいは「現実」として受け取っていました。私たちは集団催眠にかかっています。自分の道は自分で切り開きたい人は、できるだけその催眠(洗脳)を取り除かなければなりません。

自分ではあまり考えずに、ベルトコンベアーに乗って、与えられた通りに進みたい人は、その催眠から覚めない方がいいでしょう。
映画の「マトリックス」にありましたね。現実だと思っていたのが実は夢の世界で、実際に外の世界に出てみれば、大変なことの連続。夢の世界の方が良かったと思う人もいます。どちらを選ぶのもありです。

この先、バーチャルの世界で楽しむことを選ぶ人、リアルワールドに出かけることを好む人と出てきそうです。

そのうち、肉体を人造化してもっと生きるか、生身の体で寿命を全うするか、の選択ができる時代もきそうです。自分だったらどちらを選ぶんだろうな?と思います。どちらもそれなりの魅力があります。
根源的問いとしては「人間って何?」ってところでしょうか? 肉体がなくて脳だけコンピューターにつないでいても、その人なのか? 何を持って人間とするのか?

イメージが先にあり、物質化していく世界

昔、SF小説の世界で描かれたことが今は現実となっています。今は情報が溢れる世界です。いろんなことがバーチャル空間に生み出されています。
物理時代から波動時代になると、バーチャル空間がもっとリアル空間的になっていくように思います。つまりイメージが先にあり、物質化していくという流れが当たり前に受け入れられるようになるのではないでしょうか。

自分が何を思うか、感じるか?はイメージを形成します。あなたの内的イメージが外の世界を作り出すのであれば、重く淀むイメージはできるだけ持たないようにしたいですね。風のような軽やかな意識状態が普通であるようになっておきたいものです。

今までは物理次元に重きが置かれてました。「外に実在する物理世界があって、自分がいる」という順番が一般的です。その場合、自分が自分の現実を作り出しているとは思いにくいです。

物理世界が虚構で、イメージがそれを作り出しているとなると、自分がどんなイメージを作り出しているのかが要となります。重いエネルギーは自分との戦いとなるので、早めに取り去って軽くなっておきたいですね。

といっても、もうここ数年、その取り組みのエネルギーの波は来ていたので、もうだいぶん軽くなっておられることと思います。まだまだと思っていたとしても、これを読んでいる時点で、オーケーラインはクリアされてるでしょう。なぜならそういうことに興味を持っているということは、今まで取り組んでこられていたということですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?