不登校のゴールが必ずしも“登校”ではない理由
※前に出した記事です。せっかくなので「#全国18万人の不登校さんへ告ぐコンテスト」用にマガジンに収めておこうと思いました。もちろん主催者の記事なので審査の対象外です。
私は不登校の経験はありません。
そんな私がこんなタイトルで記事を書いてもいいのか、失礼ではないだろうか、とは思うのですが、わたし個人の意見としての、「不登校さん(そして全ての学生さん)のゴールとは一体何なのか」について書いてみたいんです。
”登校”がゴールだと感じている人物
わたしが勝手に思ってしまっているだけの可能性もありますけども、不登校のお子さんを持つ保護者の方のSNSへの投稿を読んでいて思う事は、「登校することが正解だ」という前提、です。
「今日も学校へ行けなかった」(何だかとても残念そうな感じ)
「今日は登校できたけれど、明日はどうなるかわからないから、喜ばずに気を引き締めておこう」(登校する状態をポジティブ、登校しない状態をネガティブに受けとめてしまう人っぽいニオイ)
ちなみに、わたしが辿り着いて読んでいる、現役不登校の生徒さんや不登校OBOG本人の記事には、あまりそういう内容が見えないんですよね。「不登校の人に、学校へ行かない理由を聞かないでほしい」という書き込みは共通しているのか結構見たんですけどもね。それらの投稿を読んで「家の方が安心するから家にいる」くらいのテンションの人が多いようにわたしは感じました。
そりゃそうですよね。
「学校にいると不安になる(ソワソワ落ち着かない)のだから、登校していない」というのは、とても理解できます。そして、わたしがもしその言葉を聞いたなら「それでいいじゃんね?」という言葉を返しちゃうと思います。
わたしも職場によって、不安を強く感じたり、通勤する時に体中が重くなって、休みたいがために体調不良になりたいなぁ、なんて思ってしまうような環境に出くわすときがあるんですね。
そんな時は、行きませんもん。すーぐ、撤退しますよ。笑
わたしは、会社などの職場に求めているものは、①自分が興味を持つ分野の仕事ができ、②自分が満足できる生活をおくれるだけの生活費を稼ぐことです。
働く環境として、この2点が満たされるのであればいいんですね。なので、その職場に固執しなければならないみたいな理由はありませんから、環境的に自分に合わないのであれば、すぐに変えるようにしています。
では、不登校の場合どうでしょうか。
環境に合わないと感じているため不登校をしていると仮定した時に、なぜそんな環境に”戻る”必要があるのでしょうか。
こういう話をすると、保護者の方は特に「もちろん転校も視野に入れている」という話になってしまうかと思うんですが、そうではなくですね。
”学校”と言う環境にそもそも戻る必要性があるのかどうか、というところなんです。
保護者の方は「教育を受けさせる義務」はありますけれども、「学校に行かせる義務」はありませんし、生徒さん本人も「教育を受ける権利」はありますが、義務は負っていません。
そもそも、子どもは学校へ行くものだ(普通はそうだ)
と言っていては、思考停止状態でもったいないです。
せっかくですので、学校へ通う事で得られるものについて考えてみましょう。
学校でしか身につかないもの
とは言え、わたしは「そんなものあるんだろうか?」なタイプの人間なので、このパートだけ誰か他の人に書いてもらいたいくらいです。
学校生活と言えば、何でしょう?うーん。
まずは、学力でしょうか?確かに、毎日授業を受けて、宿題をこなし、テストを受け、それはそれは着実に学力は伸びると思います。でもどうでしょう。学力を身に着けたいのなら、学校じゃなくっても大丈夫ですよね。通信教育なんてのも今の時代、山ほどありますし、学校以外で学力を身に着ける方法はいっぱいあります。
あとは何でしょう?友達でしょうか。当時クラスメイトと放課後に約束をして公園などで遊んだもんです。それが最高の思い出だったかと聞かれると。うーん。
わたしそもそも友達いなかったので、学生時代の友人で今でも連絡しているのって、保育園から中学まで一緒だった幼馴染ひとりと、高校の友人がひとりで、大学時代遊んでいた友人とは全員連絡取ってないです。
組織、コミュニティでの生き方の勉強と言う面もあるでしょうかね。先生含め年長者との付き合い方だとか、ルールや規則を守る訓練だとかも含まれているのかもしれませんね。
アレコレ書いてみましたが、どうでしょう。すいません、ほんと。もっといろいろと身に着けるものってあると思うんですが、これくらいしか思いつかない上に否定的になってしまいました。
もっとフラットな視点、そして学校大好きだったような人に、このパートを書いてもらったら、もちろんもっと違うのが出てくると思います。
ともかく、思いつかない頭をひねりながら、なんとか書いてみましたが、それでも「学校じゃないと身につけられないもの」を見つけることはできません。
運動会や、文化祭、修学旅行や遠足などの学年行事は、確かに学校じゃないと経験できないのかなとは思いますが、それだって、人によっては「最悪の思い出」だと言う人もいます。集団行動が苦手な人ってやっぱりいますからね。いい思い出なのか、そうでないのかは、人それぞれ。
みなさんこれ以外に思いつきますかね?
そもそも、そんなものあるんでしょうか。学校じゃないと身につかないもの(そしてそれが人生を大きく変えるような重要なもの)っていうのは。
登校の先にあるもの
いっぱい色々書いてしまいまいたが、「人間が生きていく為に」と言う視点で考えた場合に、「生きていく為のチカラ」は絶対的に必要であろうと思います。
学校社会の中にいるとですね、その正解というか、「生きていく為のチカラ」が備わってることの証明が、「学校を卒業する」「いい学校へ行く」ことなのかもしれません。
さっすがに、「いい学校へ行ったら、いい会社へ入って、人生バラ色~」という古臭い価値観を持ってるような人はもういないと思うんですが、それでも「いい学校を卒業したということは能力が高いに違いない」とうっすら思ってしまう人は多いです。
でもそんなことって、全然本質的ではありません。
生きていく為のチカラがあるかどうかは、学力だけでは測れません。
そして学力が低いからといって、そのチカラがないとも限りません。
そしてより重要になるのは、自分が生きたい人生を生きる為のチカラです。
自分が生きたいように生きる為に
わたしがこのテーマを考える時、みんな自分が生きたいように生きたらいいじゃん?みんな人のこと構いすぎじゃん?(暇なの?)って思っちゃうんですよね。
だって、”正解の生き方”なんてないじゃないですか。例え誰かに不正解だと言われるような生き方だったとしても、「え、自分これが最高にしあわせっす」って思えるなら、わたしはそれで十分です。
さて、そんな生き方を送るために、そして見つけるために、大事なことはあります。
① 自分が見る世界をどんどん広げていくこと
② 思い込みに捉われず自由に想像すること
③ 失敗を恐れずチャレンジすること
です。
極端な話、この3つが身につくのであれば、学校へ行こうが、お家にいようが、世界中旅していようが、居場所はどこだっていいと思います。
逆に、学校へ通っている学生さんでも上記3つの意識がない、習慣がない人は、自分の生き方を見つけるのに苦労するかもなぁなんて思ったりもします。
ちょっと長くなりましたが、以上です。
思いつくままに書いてしまったので、読みにくかったらごめんなさい。
みなさんの学校観について、コメント欄で教えてくれたらうれしいです。
それでは、また~
サムネイルは、みんなのフォトギャラリーより、yokoichiさんの作品をお借りしています。ありがとうございます。
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