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学校帰りに遭遇した露出のちかんが友達のお父さんだったおはなし

志田わらびです。

いやーな出だしのタイトルで
本当にすみません。
今日の内容は、タイトルの通りです。
あんまり気分良くないおはなしです。


私は
小学4年生まで、
商店街と団地がある町に住んでいました。

そのころ、おなじクラスでとなりの席だったKくんのうちは、
商店街で小さな料理店を営んでいました。
近所のよしみもあって、
私たち家族も何度もその料理店に行きました。
カウンターの中では、Kくんのお父さんが
フライパンを振っていました。
はじめのころは、
Kくんのお母さんもお店にいましたが、
あるときから姿が見えなくなりました。
あとで、離婚したんだと聞きました。
でも、そのとき、親からは
「こどもが大人のはなしに首突っ込んで
ねほりはほり聞くもんじゃありません。」
ときつく言われました。

今ならどうして離婚になったの、その原因は、とか、
余分な興味がわくかもしれないけど、
(Kくん、おかあさんいなくなったんだね)
と心の中で思っただけです。
こどもなんてそんなもんです。
Kくんとはいつもどおりとなりの席で、
こづいたり、なんやらして、
わちゃわちゃ過ごしていました。
そのあとも、Kくんちの料理店には
何度か、行きました。
私の父と、Kくんの父、大人同士は「まいど」「おう」
と、親しみをこめて挨拶していました。


そんな日々も、
そのすぐあとに私たち家族が
となり町へ引っ越し、転校をしたことで、
Kくんに会わなくなり、
料理店に行くこともなくなり、
時間とともに忘れていきました。

となり町で
6年生になったある日のことです。
あたたかい春の日でした。
道端に生えていたつくしを摘みながら、
学校でならった「おぼろ月夜」を歌いながら、
ひとりで下校していました。

私は『みんなできをつけよう!』の、
①ひとりで下校しない。
②道草をしない。
③知らない人にはついていかない。
の、①と②をすでにきをつけていませんでした。
今でもこれが悔やまれます。
そして③の知らない人、がいけません。
私は、知っている人だったから油断したのです。

背後にすーっと車が止まり、
おじさんがおりてきました。
「こんにちは、このあたりでスズキさんって家知らないかなぁ。」
私はそのおじさんの顔を見て、
なつかしさでいっぱいになりました。
(わあ、Kくんのおとうさんだ。
私のことに気づいて声をかけてくれたのかな??)
でも、おじさんは、私のことを覚えていないみたいでした。
「スズキさんのおうち知らない?」
もう一度聞かれたので、
「知りません」
と答えました。
なあんだ、おじさん、私のこと覚えてないんだ。
私は、おじさんのこと覚えてるのにな。
へぽーん。とうつむき、
下を向いたとき、目に入ったのは、
おじさんの(⊙x⊙;)でした。

えっと、えっと、えっと、、、。
私は一瞬頭が真っ白になりました。
そのとき景色の色が急に銀色になったことを今もよく覚えています。

これはいかん!
私は、目が覚めて、
次の瞬間 猛ダッシュしました。
股関節が外れるかと思うくらい、
全力×全力の全力疾走をしました。
多分、記録を取っていれば、50メートル6秒いけたと思います。

いくつか、道路を渡らなくてはいけない道でしたが、
もう左右確認なんてしていられません。
飛び出し×飛び出しの連続飛び出し
ノンストップで、家まで走り通しました。
後ろを振り返りましたが、
おじさんはついてきていないようです。

はあはあ。

ちかんにあった

私は家に帰って、
泣きながら、母にこの出来事を
と話しました。
母は、警察に電話しました。
しばらくして、婦人警官とおまわりさんが二人でうちに来ました。
「どんな色の車だった?」
「白い車です。」
「どんな顔だった?」
「おでこが広いです。」
「知ってる人だった?」
「Kくんのお父さんに似てました。」
このときです。
母が、「やめなさい!」
と私の言葉を止めたのです。

おまわりさんが帰ったあとも、
「ねえ、おかあさん、ちかんのおじさん、Kくんのお父さんに似てたよ」
と私が言ったら、
「いい加減にしなさい!」と
怒りました。
私は本当のことを分かってほしかったです。
私、Kくんのお父さんだと思ったから、逃げずに、
会話を続けたんだよ。
そうしたら、だんだん近くによってきて・・・。

不幸中の幸いか、ただ見せただけの露出のちかんだったので、
私は、なんにもされてはいません。
それでもショックでショックで
しばらくは、
学校の勉強も集中できず、通知表に
「いつも他事を考えている」と書かれる有様でした。

中1になって、通学路も変わり、
だいぶ平常心が戻っていたある日、
父が
「久しぶりにKさんの料理店に行こう」
と言いました。
「えーやだよ!」
と言った私に、父がなんていったか、もう覚えていないのですが、
父が決めたことに、私なんかが反対意見を出しても
聞いてもらえるはずはありませんでした。
とにかく、私は、その店にまた行くことになりました。
父とおじさんは「久しぶりやったな」とか
他愛ない雰囲気でした。
おじさんの顔を見て、私の心臓は早鐘のようにドクドク。
吐き気がしました。
私はおじさんの作った料理を食べることができませんでした。
その時に再確認をしました。
やはり、あのときのおじさんは
Kくんのお父さんです。

あの日から、現在に至るまで、
私は、もう、男性がだいっきらいです。
というより、女子を性の対象に見てるときの男性がきらいです。
というより、男性についてる(⊙x⊙;)がきらいです。
大人になってからは、欲求不満になった男性が
鼻息が荒くなってくるのを知って、
あの時のおじさんも離婚して欲求不満だったんだと
思うことにしました。

それにしても、
あのとき、なんで、うちの親は
Kくんのお父さんだってことを
言わせてくれなかったんだろう。

ずーっとこのことは、
いやな思い出のひとつとして
私の胸の中でくすぶって
腐敗していました。

それから、幾年どころか、35年もたった
ある日、
私がもう、大人も大人、
おばさんになってからのことです。
(おばさんになったのは最近です。キリッ)
なんとなく流れていたテレビから、聞こえてきたのは、
「この道50年、変わらずこの商店街で料理店を営んでいるKさんです」

私は、心臓が口から飛び出すほどドッキーンとして、
テレビに食いつきました。
タイムスリップのごとく、記憶がよみがえってきます。
「あのちかんやろー、どんな顔して店やってんだよ!きもいすけべ顔してんじゃねえだろうな!」と毒毒した気持ちで
おじさんが画面に出てくるのを待ちました。

画面に出てきたおじさんは、
35年分老化はしていましたが、
変わらないおじさんでした。
でも、やさしそうなかわいいおじいちゃんに見えました。
テレビでも、Kさんの気さくで温かい人柄で、
お店はいつも大繁盛です、と言っています。

あれ?
おじさん、さわやかじゃん。

私は、きっとまた 腹わたが ぐらぐら
再沸騰する、と覚悟していたので
これには、ほんと、拍子抜けでした。

なんだか、もう、いつまでもいやな思い出を
ドロドロ保管しておかなくていいよって
誰かから(天使か神様か、マリア様か竜神さまか、守護神さまか、あてはまるのがどなたかわからない)
言われているような気がしました。

もしかしたら、
ほんとは、Kくんのお父さんじゃなかった?
いや、そこは譲れません。
あれは、Kくんのお父さんでした。
こどもだった私の心を
あんなに傷つけておいて、いいおじさんやってんだな、
と腹が立つ気持ちがないでもないですが、
こちらももういっちょまえのおばさんです。
現在のおじさんが、どんな人間であろうと、関係ないな、
しょぼいじじいに翻弄されては
ばかばかしいわと思いました。
おじさんが、自分のしたこと覚えていなくても、
こちらはきちんと覚えているし、
なんなら、今からでもその店に行って、
脅しのひとつでも言うこともできるんだぜえ。
そんなことしませんけど、することはできる。

それよりなにより
この年になって
今のおじさんの顔をテレビで見るなんて
偶然というより奇跡だな、と
思いました。

私はこの奇跡に免じて(上から目線じゃけんど)
この思い出をここに記して
お〇んちん(⊙x⊙;)を嫌いに思わないようにしたいと思います。
今さら、かな。あはは。

最後まで読んでくださってありがとうございました。
読んでくださった方が気分が悪くなったりしませんように。


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