【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #26「切実な孤独」
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年の瀬もいよいよ押し詰まり、大晦日となった。
その夜、惣一郎は若葉と一緒ににしんそばを作って食べ、まだ早いうちに若葉を自宅に送り届けた。
翌朝は暗いうちに若葉を家まで迎えに行って、淀川の河川敷から初日の出を一緒に拝む約束をしている。
そのあとは、惣一郎の部屋で二人で雑煮を作って食べて、あの加賀友禅を若葉に着せて、二人で住吉大社に初詣に行く予定になっている。
若葉を自宅に送り届けた後、惣一郎は早々に入浴を済ませてベッドに潜り込み、読みかけの新書を開いたまま、ぼんやりと考えている。
結局、今年も、若葉の運命の人は現れなかった。一体、神様はどういうつもりなのだろうか。そもそも、なぜ俺だけがあの占いを覚えていて、信じているのだろうか。
俺は、あの占いに呆れながらも、心のどこかで、本当になればいいと思ったのだ。
若葉の理想通りの男が現れて、若葉をよく理解してくれて、大切にしてくれたらいい。どうせ俺の人生は、死ぬまで雪に閉ざされる。けれど、若葉には春が来て、たくさん芽吹いて、俺の分も、たくさん花を咲かせてほしい。
若葉を初めて見た時、ずぶ濡れの捨て猫みたいだと思った。暗い眼をして、やせ細って、独りぼっちで、まるで俺と同じだと思った。俺が引き取ってやらなければ、この娘は死んでしまうと思った。
でも、今はもう大丈夫だ。俺がいなくても、若葉はどこででもやっていける。あとは春が来るのを待つだけだ。若葉だって、自分を大切にしてくれる男と出会えば、俺のことなんてどうでも良くなって、すぐに忘れてしまうだろう。
そして、俺はまた、独りぼっちになる。暗くて、寒くて、物音のしない部屋で、死ぬまで独りぼっちだ。そのうち、親父さんとママがこの世からいなくなったら、俺は本当に、天涯孤独だ。生きていようが、死んでいようが、誰からも気に掛けられない。
…俺はどうして、こんなにも、独りでいることにこだわっているのだろう。
最近たまに、自分に対してひどく楽観的になってしまうことがある。事件を起こしてから四半世紀も経つのだ。あれから大きな問題を起こしていない。今の俺の日常は平穏そのものだ。
だから、もうそろそろ、自分の凶暴性を忘れてもいいんじゃないか。独りで生きていこうなんて辛いことを思わずに、誰かと一緒に生きていってもいいんじゃないか。
俺は、そんな風に楽観的になってしまう自分が、とても恐ろしい。
これまで散々苦労して、やっとバランスを保てるようになったのだ。カウンセリングを受けて、本を読み漁って、いろんな方法を試して、取捨選択した。
毎日を安定したリズムで過ごせるようにルーティンを構築して、理性の軸を保つために毎日ジムに通って、感情が波立たないように衣服や住空間から余計な刺激を排除して、酒もカフェインも香辛料も、極力摂取しないように心掛けた。
自分の激情をコントロールする方法を身につけてパニック障害を克服するまで、十年以上かかった。その間、修行先の人達には本当にお世話になった。
修行先の料理屋は、少年鑑別所でお世話になった弁護士先生に紹介してもらったが、俺が傷害事件を起こしたことを承知の上で受け入れて、親身になって面倒を見てくれた。
それでも俺は、些細なことで感情を波立たせ、自分を制御するために、周囲と距離を置いた。
初めて包丁を握らせてもらった時には、このまま逆上する自分を想像して、恐怖で手が震えた。でも、刃物の正しい扱い方を知っておいた方が安心だ、と板長に諭され、俺もそう自分に言い聞かせながら、手元の作業に集中した。
母親の死から立ち直るのにも、店の経営を軌道に乗せるのにも、ママや同業仲間や常連客に随分と助けられた。
そうやって、いろんな人の世話になりながら試行錯誤を繰り返して、ようやく今の平穏にたどり着いたのだ。誰かと一緒に生きていこうとすれば、当然、強い刺激を受ける。つまらない嫉妬心や猜疑心も生まれるだろう。そうして無駄に感情を波立たせることで、元の自分に戻りたくない。
惣一郎は目を閉じる。定休日のルーティンが頭に浮かぶ。
…朝、ジムから戻って玄関の前に立ち、ドアの把手に手をかけながら、今日も若葉は来ているだろうか、と考える。そして気合を入れてドアを開け、土間に視線を落とす。そこに若葉の草履があれば歓喜し、草履がなければ落胆する。
俺の帰宅に気づいた若葉が納戸から顔を出し、「モクさんおかえりなさい」と笑顔で言ってくれる。「おかえりなさい」なんて、一体いつから聞いていなかっただろう。
俺は嬉しくなって、若葉を抱きしめたくなる。もしも俺が抱きしめれば、きっと若葉も、オレを抱きしめ返してくれるだろう。
それが、全部、消えてなくなる。若葉に春が来たら。
(続く)
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