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長男の発達障害について考えてみた

こんにちは。鳴海  碧(なるうみ・あお)です。
本日は、ちょっと身近な話、長男の発達障害について、経験談をしたためてみたいと思います。

ただご存知のように、発達障害の幅・深さ・悩み・苦しみは人それぞれです。私の考え方が正解だとは全く思っていませんし、今現在があるのは、本人や親の努力というよりも、運や縁によるものが大きかったとも思います。その点を何卒ご了承くださいませ。

私の経験談をお読みになった方が、「こんな考え方もあるのか」と感じ、少しでも心の負荷を軽くして下されば…と思います。

以降、私自身が冷静に記すために、「だ・である調」で進めます。


私には、大学生、高校生、中学生の3人の息子がいる。
大学生の息子は、アスペルガー症候群だ。
小学3年生の時、クラスの担任教師から指摘され、検査を受けて判明した。

思えば、生まれたその日から、育てにくい子どもだった。
母乳を飲む前に必ず30分以上泣き喚く。布団では寝てくれず、ずっと抱っこ。些細なことで癇癪を起し、手が付けられないほど泣いて暴れる。
私たち夫婦はいつもビクビクし、周囲に謝ってばかりだった。

通っていた認可保育園はたまたま市の抽選で決まったところだったが、園児の個性を最大限に尊重し、息子の問題行動の全てを許容してくれた。
保育士さんは、「息子さんは本当にかわいい。他の子と全然違うけれど、それがとっても素敵」と言ってくれた。だからこそ、私たち夫婦も「そうか。長男は素敵な子どもなのか…」と素直に受け入れることができた。

小学3年生の担任教師は、集団行動の規律に厳しい30代女性だった。
長男は授業を妨害しているわけではなかったが、担任教師の一方的な指示には従わなかった。彼は、自分が納得できる理由を示されれば素直に従う。しかし、「黙って言うことを聞け」という命令には頑として従わないのだ。

私は頻繁に担任教師に呼び出された。担任教師は言った。
「お宅の息子さんみたいに協調性がないようでは、社会でやっていけませんよ。今は、クラスの皆が優しい子ばかりから許されてますけど、社会はそんなに甘くないですよ」

最初は私も素直に謝り続けていたが、担任教師があまりに延々と人格否定を続けるので、たまらなくなって反論した。
「先生が言う『協調性』って、ただの同調圧力じゃないですか。私は会社員として第一線を張ってますけど、今の時代、唯々諾々と同調圧力に従うだけじゃあ生き残れないですよ」

子が子なら、親も親だ、と思われただろう。

そうして長男は、心療内科を受診し、市の教育委員会で検査を受けることになった。私は心療内科の先生や、教育委員会の担当者に言った。
「私は息子に一切の隠し事をするつもりはありません。彼はとても賢い子です。自身に起こる全てのことを受け止められる器を持っています。私は親として、そのことだけは確信しています」

検査の結果は「アスペルガー症候群」。
私たち夫婦はショックを受けなかった。ただただホッとした。これで、具体的対処法がわかる。これからのことを建設的に考えられる。

教育委員会の担当者はしみじみと言った。
「息子さんは間違いなくアスペルガーです。でも、二次障害の兆候が全く見られません。親御さんが息子さんを否定せずに育てたからだと思います。素晴らしいですね」

違う。保育士さん達が素晴らしかったのだ。私たちはそのことに心から感謝した。
そして長男には、アスペルガー症候群についての専門書を数冊渡し、「あなたの新しい魅力を発見できた。これからも、自分のちからで乗り越えていけ」と伝えた。

その後、長男は中高一貫男子校を受験した。女性教師を受け付けられなくなってしまったからだ。受験したのは、地域でも有名な「生徒を完全野放しにする、自由がウリの学校」だった。

中学一年の保護者面談で、私たちは担任教師に聞いた。「うちの息子、問題児になっていないでしょうか」
担任教師は笑って答えた。「お宅の息子さんが問題児なら、クラス全員が問題児ですよ」

その学校は、生徒だけでなく、教師も異端児だらけだった。異端児であるほど尊ばれる校風だった。長男はそこで、心ゆくまで異端児っぷりを発揮しながら6年間を過ごした。さほど偏差値が高くない学校だったが、その中でも成績は中の下。部活動もせず、家でずっと、ゲームとネットサーフィン。しかし私たちは何も言わず、彼の好きなようにさせた。

私の心には、自死した友人のことがあった。
容姿端麗で、すこぶる優秀、スポーツも万能。いつも学級委員。いつも部活のキャプテン。性格は朗らかで一点の曇りもなく、誰からも愛された。親は資産家で大学教授で、子どもに対して愛情深く、とても仲良し。「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」とはこの子のことか。
彼女は、他大学出身にも関わらず、32歳で京都大学の准教授に抜擢された。前途洋々だ。なのに一年後、突然、自死した。理由は誰にもわからない。親御さんの悲痛はいかばかりか。

長男は、障害があってもいい。勉強できなくてもいい。自分の人生を楽しんでくれればそれでいい。

高校1年になった頃。彼に突然、将来の目標ができた。そして突然、自分から望んで予備校に通い始めた。
成績はぐんぐん伸びた。長らく中の下だったのに、半年で上位に入り始めた。彼は俄然やる気になり、更に勉強した。高校3年でトップになった。そしてぶっち切りの成績で超難関大学に合格した。
私たちはひたすら唖然としたが、担任教師は「まあ、彼ならできると思っていましたよ」と平然と言ってのけた。

「あなた、学歴が全てじゃないのよ」
そう言いながら、私は長男に『高学歴発達障害』『高学歴難民』の新書を渡した。
「わかってるって」と長男は言って、その新書に目を通した。

今、彼は楽しく大学に通っている。かつては社会不適合者になるかと危惧されたが、塾講師のアルバイトを卒なくこなし、職場で頼られる存在になっているようだ。集団行動が苦手なはずだったのに、大学のオタクな同好会に入り浸り、ネットで知り合った高校生や社会人とのオフ会を楽しんでいる。
リモート講義をそばで聞いていると、長男は「私は発達障害の当事者で…」と普通にカミングアウトしている。

人生はまだまだ長い。就職が上手くいくとは限らない。職場で上手くやっていけないかもしれない。だが彼なら、自分でなんとかできそうな気がする。


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