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【創作大賞2024オールカテゴリ部門】たそがれ #06

前回のお話はこちら》


大きな見落としがないかを確認するため、瑠奈はもう一度、記憶を反芻する。
父との生活。父との会話。父が再婚する前のこと。幼いころから忘れようと努力して、忘れたつもりになっていたこと。

父を思い出すとき、隣にはいつもナオコさんがいる。

ナオコさんは、瑠奈が物心ついた頃には、すでに身近な存在だった。一緒に住んではいなかったけれど、瑠奈の家を頻繁に訪れては、瑠奈ちゃん、瑠奈ちゃん、と可愛がって、何彼と世話を焼いてくれていた。

瑠奈は三歳から幼稚園に通っていたが、仕事で忙しい父の代わりに送迎してくれたのもナオコさんだ。幼稚園から自宅まで十五分の道のりを、ナオコさんと二人で歌を口ずさみながら歩いた。瑠奈とつないだナオコさんの手は、とても温かかった。

小学一年生の夏、父はナオコさんと再婚した。初婚のナオコさんのために、父は、親子三人だけのささやかな結婚式を挙げた。タキシードの父と、白いドレスのナオコさんと、淡いピンクのワンピースの瑠奈。
その記念写真は、今も実家のサイドボードの上に飾ってある。しばらくの間、三人の暮らしは穏やかだった。ナオコさんが、瑠奈の本物の母親になろうと心を砕いてくれていることは、幼い瑠奈にもよくわかった。

父の再婚から一年後、妹の清香が生まれた。
両親の愛情を存分に受け取り、遠慮なく甘える清香の存在に、瑠奈はうろたえた。清香が生まれた後も、ナオコさんは変わらず瑠奈に深い愛情を注いでくれたが、ナオコさんにとって、血を分けた清香と、血を分けない瑠奈とでは、根本から違うのだと、瑠奈は過敏に感じ取った。

例えば瑠奈の箸使いを注意するとき、ナオコさんは自分の言葉を一旦飲み込み、吟味してから口にする。清香に対してはそんな遠慮をしないのに。
ナオコさんは、まるで大切な預かり物を扱うように瑠奈に接する。そのことが却って、瑠奈を傷つけた。

次第に無口で自制的になっていく瑠奈に対し、父も気を遣い、腫物に触れるように接した。そうするとなおさら瑠奈には、この家から居場所を失っていくように思えた。

都内の大学に進学が決まった日。
実家を出て一人暮らしをするため、自室の荷物を整理していると、背後に人の気配を感じた。振り返ると、入口のドアが開かれていて、建具枠にもたれかかった清香が、瑠奈の作業を無言で眺めていた。
キャンディドロップでも舐めているのか、口元がくるくると動いている。彼女はまだ小学六年生だったが、やけに大人びて見えた。

「…何。どうしたの。」

瑠奈は、不審そうな顔をして尋ねた。清香はしばらく黙ったままだったが、頬の中でキャンディをキュッと動かすと、ぶっきらぼうに言った。

「お姉ちゃんはさ…お姉ちゃんが出ていくことで、ママが何て言われるかなんて、考えたことないでしょ。ママは近所の意地悪な人たちから『継母がいびり出した』とか言われるんだよ。」

清香は瑠奈に対して何も遠慮せず、いつもズケズケとものを言う。清香にとっての瑠奈は、正真正銘の姉なのだろう。でも、瑠奈にとっての清香は違う。穏やかな生活に割り込んできた闖入者だ。

「お姉ちゃんは、ママの気持ちなんてどうでもいいんだよね。あたしのことも、さ。」

そう言い捨てると、清香は部屋を出て行った。


圭太と付き合い始めて二年が経とうという頃、瑠奈は、家族に対する鬱屈と孤独感について、圭太に打ち明けた。この気持ちを圭太に理解してもらえるだろうか。何不自由なく育った女の贅沢なわがままだ、と片付けられはしないだろうか。そう不安に感じながら。

「俺…温室育ちで苦労したことがないから…瑠奈の気持ちをちゃんとわかってあげられなくて、ごめんね。」

圭太は神妙な面持ちでしばし沈黙したが、やがて、いつもの人懐こい笑顔を瑠奈に向け、瑠奈の手をギュッと握って言った。

「でもさ、俺、将来瑠奈と結婚したら、むちゃくちゃ楽しい家庭を築ける自信あるよ。瑠奈と一緒なら、何でも乗り越えていけると思う。」


なぜ圭太は浮気したのだろう。私が悪かったのだろうか。

私に女としての魅力が足りなかったのだろうか。いつも口答えばかりして可愛げがなかったのだろうか。仕事に夢中な瑠奈を応援している、と言ったのは嘘だったのだろうか。仕事をやめて、圭太のそばに行くべきだったのだろうか。

私は、圭太を責められるほど、圭太を大切にしていただろうか。今回だって、迷わず仕事を優先した。こんな身勝手な瑠奈に、もしかしたら圭太は、もうずいぶん前からうんざりしていたのではないか。

続く

前回のお話はこちら》


【第1話はこちら】


『たそがれ』を読んで下さり、誠にありがとうございます!
よろしければ、『早春賦』も是非ご高覧下さい。




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