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自分の人生とは、今いきることの意味。

 自分の人生について、あらためて考えてみようかと想う。
 4○年齢である私は、誰のために生き、誰のために死ぬのだろう。違うよな。
なぜ生まれ、どう生き、どう死んで行くのか。それが、正解ではないだろうか。
 なぜ生まれたか…。それ、本気で考えてみた。生きていくうえで、人との関わりが途絶える事はまず無い。何でなのか?
人と、関わる事はかなりめんどくさい。と、想ってしまう事がある。仕事をするうえでの、人間関係が一番濃いような気がする。
仕事をする。イコールお金をもらう。でも、お金をもらう事が前提なのだろうか?世の中それが、正しいと想う人が大半だろう。でも、視点を変えて見ると、こう解釈できる。
日々、会社のなかで色々な考えの人たちがいる。その中には、上司や同僚、後輩。その関わりのなかで、意見の食い違いや、命令されたり、自分で考えやらなくては行けないこと。辛い経験や、自分がやりたいことを否定されたり。それらの事を我慢し、目標を達成させる事が出来たときの、対価が給料としてもらえるのではないだろうか。
そう想い1日いちにちを暮らしてみると、あんがい楽しく仕事が出来る。毎日を、自分にとって会社は学びの場所で、しかもお金がもらえる場として、考えると楽しい場所ではないか。

次の課題は何か?
よく、パソコンで自分の管理業務を行っているとき、同僚から「今、忙しいですか?教えて欲しいことがあります。」と言われる事が度々ある。
本心は、大変忙しいが、私は「いや、全然忙しく無いよ。どうしたの?」と、聞き返す事がある。
なぜか。その言葉の中にある課題に興味がある。その課題を私が少しアドバイスする。本人には答えを言わずに、考えてもらい、自分で答えを導いてもらう。アドバイスをすることで、たいていの人は、自分で答えを出してくれる。その時、相手が達成感を味わってくれる。顔には出来たときの喜びが溢れている。それを、一緒に味わうことが、私の喜びでもある。答えをすぐに出すのではなく、一緒に考え喜びを共有することが、大切であることを、私は学んだ。

今までの人生のなかで、無駄な事は、何一つ無かったと想う。今、私は人生の分岐点に立っている、妻と出会い、2○年生活を共にしてきたが、あることがきっかけで、離ればなれの生活になるかもしれない。
これから、後、何年生きるかは、わからない。だが、どんな道を選ぼうと、その道が正しいものになるように、自分を導いて行こうと想う。

どう生きて行くかは、自分に正直に、人を愛し、自分も大切にしていく事のような気がする。正直、今は何を信じて良いか分からなくもなってもいる。
でも、生きるしかない。その先に明るい未来があると信じて。

どう死んで行くかは、もう少し後で考えてみようと想う。

次は...。何が起きるのか、楽しみだけど、少しこわい。

人生は、喜怒哀楽だ。
頑張ろう…。
読んでくださり、ありがとうございます。




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