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中学生の頃の話

3年前。人生で1番人と会うことが怖かった時期の話。

中学3年生の春、人生で初めて抱える感情に悩まされていた。誰のことも傷つけず、今後の人生を過ごす方法を探していた。

今の自分ならそんなことは不可能だと理解出来る。人間は1人1人感性が違う。何で傷つくか、何で喜ぶか、もちろん人それぞれだ。

当時はそんなこと理解できなかった。理解したくなかったのかもしれない。ひとつくらい解決策があるのではないか、と毎日寝ずに考えた。

ひと月もせずに狂ってしまった。
自分が自分ではなくなった。

人と話すことが怖くなった。
クラスメイト全員に悪口を言われているのではと思った。
私の存在が周りを不幸にしていると本気で思っていた。

生きてる意味とはなんなのか、と考えた。
そんなこと分からなかった。
中学生の頭で考えるには難しすぎたし、今も分からない。

段々世界の音が大きく聞こえるようになった。見えないものが見えるようになった。

外はイヤホンがないと出ることが出来なくなったし、スマホ画面の中から色々なものが私目掛けて飛び出してくるようになった。

母に理解はなかった。母子家庭我が家で母からの理解が得られないことは終わりに等しかった。

朝が来ることは怖かった。毎日処刑台に立たされる気分だった。段々学校に行くことが辛くなってきた。
よく休むようになったし、遅刻も格段に増えた。

毎朝母からは「学校に行け。体調も悪くないのに休むな。」と言われた。実際、毎日夜通し悩み続けたので頭痛が酷かったし、気持ちは追いつかなかった。学校の先生にも「なんで来れないんだ」と言われた。そんなの自分がいちばん知りたい。

泣きながら登校する日もあった。少しでも学校に着くのが遅くなるようにゆっくり時間をかけて自転車を漕いだ。誰もいない通学路は、世界に自分だけが取り残されたみたいで好きだった。

ある日突然私を地獄の底から引き上げる人が現れた。当時所属していた部活の顧問だった。年は30歳手前。サバサバしたショートカットのよく似合う女の先生だった。

ある日の部活中、先生は横に座る私に聞いた。

「糸月、最近元気か?」

私はなるべく元気に答えた。

「はい。元気です。」

相談に乗ろうとしてくれる人はだいたいここで
「そうか。」って言っておしまい。誰も踏み込んでこない。そう思ってた。先生は続けて言った。

「嘘つけ。話してみろ。」

心臓がはねた。先生は私のことを励ますようなことはしなかった。私の紡ぐ言葉をひとつひとつ受け止めて認めてくれた。

嬉しかった。私の気持ちが認めて貰えた。

どこか気持ちが軽くなった気がした。少しづつ現実を見ることができるようになった。

3年経った今、その頃の思考が全くないと言えば嘘になる。だが、私の今を作ってくれた恩師に恥じぬよう今日も生きていきたいと思う。

ちっぽけかもしれないが自分にとっては人生に関わる大切なお話。

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