美しい世界を守る。言葉の力で
「何を守り、そのために何をするのか」
美しい世界を守りたい
そのために声をあげたい
言葉を紡ぎたい
人があきらめたり、すさんで人を傷つけたりせずに、昨日まで以上の可能性を明日に見出せる社会、
それが一部の人ではなくて、誰もがそう思える社会。
あ、この世界っていいな、って誰もが思えた世界になったなら、もうそれで人生でしたいことは完成してるかもしれない。
そして、そのための第一歩は、
当然ながら自分自身がそう思えることだ。
自分自身に対しても、あるいは世界に対しても。
世界にどんな美しさを見出して、
それを守り、より豊かにしていくために
自分に何ができるのか。役割は何なのか。
それがシャープになって循環がまわりはじめた時、きっとおのずと世界と自分は混ざりあって輝きを放っている。
(世界、というとビッグワードだけれども、自分にとっての外界という意味では世界と呼んでもいいのではないかと思い、その言葉のままで書いてみている)
「守りたいのは、"尊厳"」
何が傷つけられた時、ジブンゴトのように心を痛めるだろう?
そう考えたときにふと浮かぶ言葉は
"人間の尊厳"。
システムというものとの二項対立で済む話でもないかもしれないし、戦いという言葉は好きではないけれども、
それでも何のためであれば戦うかといえば、それを守るためなんじゃないだろうか。
(と書きながら、例えば奇妙でワクワクする深海生物なども守りたい、っていう気持ちもあり、人間に特定していいのかは若干あやしいですが。
ただ、それを美しいと思えるのも人間の良さであり、守るべき価値観かなという広い意味では人間の尊厳という言葉に含まれもするかなと)
誰かが迫害されている時、誰かの声が黙殺されている時、
存在が否定されている時。
それは大きな話だけではなくて、家庭や職場でも同じこと。
ないがしろにされない=それぞれが尊重される、ということ。
これは、横並びの競争がない社会、というわけではなくて、それぞれがそれぞれのあり方で輝いているということ。
「つまりは美しい世界を守りたいんだ」
誰かに"加害者"という名前をつけて糾弾したいわけでも、"日本社会は"とか漠然としたもののせいにしたいわけでもない。
そうやって生きていること自体が美しくない。
そう、美しく生きたいのだ。
外見の話ではなくて、人間として。
決まった答えではなくて、
常に模索を続ける自分なりのプロセスとして。
自分の内面にある美しさ、
誰かや地球の美しさ、
どちらも同じ、自他の区別がない世界で。
「"フォーカス"が世界のマップを変える」
スポットライトをあてる。そうすると世界が変わる。
なぜならほとんどのことは見過ごされているから。
そこにある美しさに誰もが気づけなくなってしまった時、その美しさは存在しないのと同じことになってしまう。
そうならないために、守っていく。
「では 美しさとは?」
この答えは一筋縄ではいかない。
ミルフィーユ以上に多層的で、奥深い。
人間としての美しさ、建築物の造形美も、動物の生きる様、
地球の美しさ、感性豊かな人が奏でる音楽やアートの美しさ、
日常に潜む肌色の素朴な美しさ。
それを探求しにいこうと思う。
おそらくは私にとって大切な
言葉という存在と共にありながら。
徒然なるままに続きます。
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