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「バカモン!」なら時間の経過と共に愛情を感じることができますが・・・。

「地球から消えて」は、ずっ~と陰湿に心に残ってしまいますね。

あるある。小学生の時、中学生の時、高校生の時、お叱りの矛先が自分自身だったことも、級友であったことも様々ですが、先生が怒り沸騰して「バカモン!」と大声で怒鳴り上げた記憶が残っています。

その瞬間は、凍えあがって教室中がシーンと静まりかえりました。叱られた本人も、関係した級友も、全く無関係な人たちも、その成り行きを見守っていました。

しかし、必ず、少しの時間経過後には、笑顔で他の話題を始めている先生の姿があり、皆んなは真摯にその出来事を受け止めてホッとしつつ、同じことは繰り返さないぞと(反省し)心に格納しすることができました。

記事で問題となっている先生は、そんな光景には仕上げることができなかったのでしょうか?

残念です。

便乗するようで気が咎めますが、教育者としての、何か一線を失っていますね。

さらに、あってはならないことが続きます。

今、子供たちが先生を見る目は、"不信感"を超えて"見下し"の領域に入っていないでしょうか?

ボロボロと出てきます。忘れた頃の衝撃ではなく、もはや「またか」と慣れっこのムードがあるのなら大問題です。

生身の人間ですから、泥臭さや生臭さは当然あるでしょう。しかし、聖域でなければならない教育者の立場でありながら、「ただの人」に成り下がってしまうのは如何なものかと思います。

何が不足しているのでしょうか?
その立場で持つべき「威厳」でしょうか?

古き良き時代の先生の姿が、上手くバトンタッチできていないように感じます。

一方で、ゲンコツに至った背景の詳細は不明ですが、この先生へは同情を感じます。好き好んでゲンコツを落としたのではないでしょうし、苦渋の選択(行為)だったのではと思えば、ゲンコツを受けた生徒と周囲の級友に対する「愛の鞭」だと受け止めることができます。他の事件と同列でないことは確かでしょう。


追伸

まさしく、So What?
だったらどうなの? だから何なの?
と一言を受けそうですが、ただ無責任に感じたことをつぶやいているだけで、何も具体的な提言ができる訳でもありません。
直接に関係しないことですから、傍観していれば良いのでしょうか?
言葉にすべきなのでしょうか?
すっきりしない葛藤に襲われることが多くあります。

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