私たち人間の行き過ぎた命の尊び方

若いライオンは成長すると、家族を離れて別のプライド(ライオンの家族の単位)を乗っ取り、自分のプライドを作る。その時、もとのドミナントライオンの子供がいたら全て殺し、自分がライオネスと新しく交尾して子孫を残す。これは、より強い血を後世に残そうとする動物の生存本能と考えられている。

狼はパック(狼の家族の単位)の中で、基本的にアルファメールとアルファフィーメールしか交尾しない。しかし、パックが強く、さらに獲物の量が豊富な場合、アルファはランキングが下の他のオスメス狼に生殖を許す場合がある。アルファはリーダーとして、あらゆる状況を考慮してこういった判断を下し、パックの健康と繁栄を守っていく。

ライオンは上下関係が薄い分、自分以外の血の子ライオンを殺すという方法。狼はアルファ(オスメス各1頭)のみが交配できるという厳しい上下関係を保つ方法。どちらも強い遺伝子を残すためと考えられているが、それより重要かもしれないのは、こういった残虐とも思われる習性が、種自体の頭数をむやみに増やさず、エコシステム全体のバランスを保つのに貢献していること。ライオンも狼も食物連鎖のトップに立つ捕食動物。彼らの数が増え過ぎれば、獲物となる草食動物は見る間にいなくなり、他の動植物に影響し、翻ってそれが彼らの生そのものを危ぶむ。獲物がいなくなれば餓死することになる。ライオンが他プライドの子供を殺すのも、狼が冷酷に見えるほど絶対的ペッキングオーダーを作るのも、数を増やしすぎないというエコシステムのバランスを保つ大事な役割だ。

人間は命が尊いという生命倫理と医療倫理を作り、すべては命を救うこと、延命が善であり美徳であるとしてきている。しかし、激しい人口増加はエコシステムの1番の問題だ。しかも、人間内で留めていればまだいいが、他と比較して、人間の命が他の命より尊いとしているので、他の種は法律をバンバン作って合法で殺すし、動物の肉体に車や宝石のような価値を置いて、違法にも殺し、売買する。

命はすべてが尊く、すべてがそれぞれのタイミングで必ず死ぬ。死がきちんと来るからエコシステムが保たれるのだ。ライオンが自分以外の子供を殺す習性は、人間の目から見たら「悪」という二項対立的ジャッジメントに晒されるが、あれだけ強いライオンがばかばかと増殖し過ぎることなく調和を保つ。

人間の命の尊び方は歪んでいて、それがエコシステムに莫大な負担をかけていることに気づかなければいけない。私たちが何を尊い、美しいとストーリーにしているか一度考え直す必要がある。感情に訴えかけるものが倫理なのか?それは本能より高尚なのか?

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