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飛行機に乗る女の人

“思い込み”と言われると、苦手意識が出る。

それが、勝手に“決めつけ”た勘違いなのか、必要な“信念”なのか、よくわからないからだ。信じてやることは悪いことじゃないじゃないか、とムキになりたくなる。ま、ムキになる時点でアウト。主観的になり過ぎていて、“思い込み”をしている証拠だ。歳を重ねて大人になった分、イラッとしたときほど、まず一歩引いて、客観的に捉える努力ができるようになってきたけれど、瞬発的なものではなく、最近、長年思い込んでいた、ということが多いことに気づいた。

昔むかし、新卒の就職活動をする時、子どもの時になりたかった職業を候補にして、試験を受けていた。ひとつは、小学校の卒業文集に書いていた「広告企画」。これは、父親の影響。野球をやっていた親の子どもが、野球をやるのと似ている。そして、もう一つは、幼稚園の卒園のカードに書いてあった〈将来何になりたいですか?〉の答えが「飛行機に乗る女の人」ということで、広告代理店と航空会社の試験を受けたのだ。

あの頃は、学生側に有利な売り手市場だったため、ありがたいことに、どちらの業種にも内定をもらった。まったく違う業種のため、試験会場で会う学生の種類が違い過ぎて、それを楽しんでいたことも覚えている。

結果的に、長く働けることや親のアドバイスもあって、広告代理店に決めて就職し、会社は変わっても長年働けているから、選択は間違ってなかったなと思っていた。でも、これは“思い込み”だったなと、ふと気づく。

私は、どこかへ行く時の空港がすごく好きだ。特に国際線のターミナルは天井が高くて、ワクワクする。仕事で定期的にヨーロッパに行くことがあったのだけれど、当時の北ウイングは少し寂しい感じも含めて、深呼吸したくなるくらい大好きだった。どこか遠くに行くための企画を考えるのは、かなり得意だと思う。そうか、私は今、「飛行機に乗る女の人」になってるじゃないか、と。5歳だった私は、ちゃんと将来を見据えていたし、しっかりと選択していたのだ。

こんな風に、数十年も“思い込み”で勘違いをしていたようなことが、他にもあるかもしれない。でも、その時その時に起こっていることや自分の選択は、その時はよくわからなくても、結構ベストなんだ、ということはわかったから、ムキにならずに、委ねていればいいのかな、とも思う。

コロナ禍で、自由に飛び回ることは出来ないけれど、その時が来たら「飛行機に乗る女の人」を満喫できるように、働いて、行き先をあれこれ妄想しておこうと思う。

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