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明日死ぬかもしれない今日を生きようと思った。

なんだか長いタイトル。
でも、本当に言葉の通り。

みんなそれぞれに
与えられた一生を生きている。
でも、それがいつ終わるのか、
当たり前だけど
誰も知らない。

生まれた瞬間から
その日へのカウントダウンが始まっているのに、
その日なんて永遠に来ないような気になって
「また明日考えればいっか」って、
ついつい先延ばしにする。

でも、
その明日は
もう来ないかもしれない。
会いたい人にだって、
いま会いたいと行動に移さなければ
もう2度と会えなくなるかもしれない。

何かに突き動かされたように
次の瞬間には
数ヶ月ぶりのメールを送っていた。

「久しぶりだね」

と返事を見れば
とたんに気持ちが数ヶ月を遡る。

あれほど悩んだ決心すら
なんて脆いんだろうと
なんだか呆れたようにも思う。

約束の日
いつもの乗り換え駅で
いつもじゃない路線へ乗り換える。

毎週通っていた道。
懐かしさに包まれる。

駅に電車が到着し、
待ち合わせの
いつもの改札へと急ぐ。

そこで見る
久しぶりの顔。

「髪、伸びたね。」

そんな一言にも
目の前にいることを感じ
嬉しくなって

少しかすれた独特の声が
耳に馴染む。

会いたかった。

すべきでない事だと
自分に言い聞かせて
気持ちに蓋をした。

でも
わたしは自分の気持ちに
正直になることを選んだ。

後悔したくないと思った。

子供の頃から
いつだって
他人からどう見られるか
思われるかって気にして、
ものわかりいい子ちゃんを演じていた。

そんな自分に嫌気が差すこともあったけど
「いい子ちゃん」がもたらす
ある意味でのラクさやおいしさに
逆らう勇気がなかった。

でも、
もう後悔したくない。

周りが求める像を演じることは
私自身の人生を放棄してるんじゃないかって思ったから。

理解されなくてもいい。

非難されてもいい。

多少人を傷つけることになったとしても
私は私の人生をちゃんと生きたい。

2018年が
終わろうとしている。

いま
私はどんなスタートラインに立っているんだろう。

たとえそれがどんなに困難な道でも
進みたいと思えた。

変わりたい。

変わってみせる。

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