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大言壮語系のこと、と思われるかもしれませんが、
僕は自分が、
"日本を代表するジャーニーランナーだ!!"
と思っています。
(言うはタダなんでw)

ただ、言葉だけで終わるとダメなんで、
日本代表の具体的な生活風景や行動のところまでイメージするようにしています。
それを元に、現実と理想とのギャップを埋めるべく行動するようにしています。


走ることはごく普通のこと

話は変わりますが、
僕は毎日10〜20kmぐらいは走っています。
これはもう「毎日走ることは当然のこと」として生活しています。

日課とでも言いますでしょうか。
中毒的な、走らないと気持ちが悪い段階は過ぎましたが、
それでも歩くより、自転車に乗るより、車に乗るより、
走るほうが断然好きです。
どこに行くにも移動手段として走って行きます。本やPCなど大きな荷物がなく、時間に余裕がある限りは走ることを選びます。
僕にとっては走ることは、ごくごく自然なことで、呼吸するのと同様のレベルで行うことです。

でも、これも最初からそうであったかといえば、そうではありません。
走り出した当初は太っていたので、走ると息も上がりますし、めんどくさい、しんどい、と思うこともありました。
当時はベトナムに住んでいたので、外の灼熱の日差しを想像するだけでうんざりしていました。。。


毎日走るのが当たり前の世界

でも、このような状態でも、
「 サハラマラソンを走るのだから、
 毎日走るのは当然、当たり前のことだよね」
と言い聞かせました。

サハラマラソンは1週間の荷物を背負って、250km走り続けないといけません。暑さも40℃を越え、尋常ではありません。
毎日フルマラソンに近いぐらいの距離を走っても、翌日には重い荷物を背負って、スタートラインに立たないといけません。
たとえその日、何十キロも走って「今日もよく走った〜」と爆睡するわけにもいかず、翌日に向けて煮炊きや身支度をしないといけません。

そんな環境下に置かれるのだから、練習段階の日常生活でも毎日走るようにしておかないと、本番でも走れるわけがありません。
また、走った翌日に疲労が蓄積するような状態はマズいわけで、そうならないためにも、そもそものフォームはどうなのか?と言うところに疑問を持つことになりました。
次に、疲労がたまらないフォームにもある一定の成果が出たとしても、そもそも走る動機がないと走ることをしないので、サハラマラソンを走る動機や自分が何をしたいのか?を自己省察することもありました。

そういった過程を踏みながら、徐々に毎日走ることがごく当たり前のことになり、今では毎日大した負荷もなく走り続けるようになりました。

最初から、当然のように毎日走れたわけではないのですね。


日本代表なら何をするか?どんな生活を送っているか?

で、今も、"自分が日本代表だ!"と思って、生活しています。
(言うはタダですからw)
「日本代表ならきっと○○する!」「こんな生活を送っているに違いない!」と意識することで行動が変わってきます。
例えば、家族関係はどうか?交流関係は?金銭面は?食生活は?
そういったことをひとつづつイメージして、ちょっとでも現実をそれに合わせていきます。

どんだけ現実がショボくてもいいんです。
ありたい姿をイメージしていくと、
気位から変わり、行動が変わり、現実が変わるのです。

日本代表とは雲泥の差があり、まだまだ入り口の入り口の段階ではありますが、まずは意識から変えていこうと。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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