都知事選


都民になって初めての都知事選。
いや、候補者多すぎやろ!?と驚きつつ
私の中では石丸候補、安野候補がせめぎ合っていた。

両親は大の石丸推し。
ここ数日はどんな内容をラインしてても、都知事選に絡めてくる。どんだけ好きだよ!どんだけ楽しみにしてるんだよ!都民でもないのに!!!と、両親の熱量に驚きつつも、

私の興味の矢印は安野候補にぐんぐん伸びてった。

コロナの時、台湾がオードリータンの手腕によって日本がまごついてる間に問題解決していく様子を見て、また彼女の書籍を数冊読み、「こんな人が大臣である台湾、羨ましい」と思ったものだ。

それで、ああ、安野さんがそうゆう存在になるのかもしれないという希望を抱いて、結局彼に投票。


持論として、投票しない人間は政治に文句を言う資格がないと思っている。投票という意思表示はしないくせに、文句だけは一丁前。挙げ句の果てには「自分が投票しても意味ないじゃん」


確かに、私が投票に行ったところで何も変わらない。みんなが投票しても変わらない。かもしれない。でも文句だけ言っても、変わらない。

だけど、個人的に問題はそんなところじゃなくて「私たち若者の存在を忘れるな」という意思表示をすることが必要だと思ってる。

高齢者にばっかり優しい、若者には恩恵がない
と言うのなら、自分たちの存在を見せていかないといけない。

若者の投票数が増えることで、(例え何かがすぐに変わらなくとも)若者だってこの国を監視しているぞ、見ているぞ。ってことを静かに伝えることができる。

誰に投票したらいいか分からない、公約とかよくわかんないとしても、とりあえず若い世代が投票しているという事実を見せればいい。

韓国ではアイドルや芸能人が、投票完了のスタンプをSNSにアップしたり、投票開票が大ヒットしたオーディション番組のパロディだったり、選挙が身近に感じやすい。 

投票することが至極当たり前である。

そんな国になったら、もっともっと、この国はよくなるんじゃないか。

考えることを放棄して、ただ国が決めたことに文句だけ言って、文句を言う以外の意思表示をしないなんて、なんて調教しやすいんだろう。。。

日本が暮らしやすくなるには、ひとりひとりの意識を変えることなんじゃないかな。みんなが、考える力をつけることが大事なんじゃないかな。




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