#12 20.08.03.

56.少し前、Twitterで変な女オタクと知り合った。情緒は不安定だし言動は不審だしと、まず間違いなく変人だった。しかし彼女の悩み、とりわけコミュニケーション面での悩みは、その点においてはきっと同程度に頭のおかしいのだろう僕のそれとも一致していたので、時折いらつくことはあったものの今の今まで交遊を続けている。人間とはコミュニケーションを通じてでしか接することができない。その人間に対してコミュニケーション面での気遣いが一切いらないというのが僕には新鮮なのだった。あるいは清濁ごちゃ混ぜに等身大で話してくる姿勢に好感が持てたのだった。これからも仲良くできるといい。
 そんな彼女に女性を紹介してもらった。一言で要約すると、物憂げな文学美少女だとのことだった。物憂げな文学美少女を嫌いな男がどこにいるんだろう。早速連絡先をもらって、あくせくと拙い自己紹介を送ったのが昨晩のこと。彼女は村上春樹が好きらしい。僕は村上春樹を読んだことがなかった。読もう読もうと思い、しかし僕はあらすじを決して目に入れない人間なので、内容もわからない1Q84や騎士団長殺しのタイトルだけが山川世界史一問一答の答えのように脳の奥につもり、イブンバットゥータの三大陸周遊紀やヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の並ぶ列に整理され、今さら村上春樹を読むのはBOOKOFFで鬼滅の刃全巻セットを買う人の味わうような恥ずかしさを伴う気がしたのも相まって、そうしてやはり読んだことがないままなのだった。
 春樹を読んだことがないならノルウェイの森を読むと良い、そんな旨のメッセージをいただいて以降、口下手の僕は物憂げな文学美少女との会話を膠着させてしまっていた(彼女のLINEのアイコンは本当に美少女だった)。良い機会だ。ノルウェイの森を買おう。その写真を送って、読みます、とでも言えばなんとか話が始まるんじゃないのか。間違いないね。そうしてイオンの書店に駆け込んだのが今日の20時過ぎ。ノルウェイの森上下巻を買ったその足で近くのスターバックスに入店した。ソーシャルディスタンスに誠実で、キャパギリギリの店内はそれでも閑散としていた。カフェアメリカーノトールのアイスを頼む。受け取る。ソファー席のはじに座る。背もたれが弧を描いており落ち着かない。僕のからだの正中線を軸として線対称な弧なら良いものの、残念ながら真っ当に座ると背中と背もたれの間に左右非対称のデッドスペースができてしまう角度で弧を描いていた。拘泥するのも馬鹿らしく、そのまま上巻の表紙をめくった。ブックカバーは自分でつけた。鬼滅の刃後追い野郎に見られたくなかった。
 一時間半が経ち、四章を読み終えたあたりでぷつりと集中が切れた。スマホをいじる。五章を読む。集中が切れる。背中が痛い。腰も。読みながら気になった靴下を脱ぐ。いつも通りの計画性のなさゆえに茶色の革靴に真っ青の靴下を合わせてしまったものだから、そのコントラストがスターバックスのシックな床に悪目立ちしているのだった。素足のまま革靴を履き直すと、一瞬の不快感の後に、これはこれで良いと思える心地よさがあった。ラリーの中でラケットのグリップが手に溶け込む瞬間の感覚に近かった。あまりに背もたれが不快だったので、目の前の木の椅子に場所を変えることにした。
 読み進めて22時半、あと30分で閉店。ふと机に目をやる。円を描く木製テーブル。僕はそこに無作為の奇跡を見た。柄にもなく写真に収めようと思ったものの、その奇跡の一部にiPhoneが溶け込んでいるものだから、この画は脳に焼き付け帰ってから文章にしたためる他ないと決意した。
 円の中心から数センチ右奥に裏返しに眼鏡が置かれている。今度は誠実な背もたれと45度をなすように斜めに。耳掛けはほとんど交差するかしないかといった具合で閉じかけられていた。円を縦横に4等分して右上の左下側に眼鏡があるとすれば、左上の真ん中には飲みかけのカフェアメリカーノが鎮座していた。コースターがわりの紙ナプキンが汗で湿った下着のようにまとわりついていた。なんといっても肝要なのは右下だった。iPhoneの我の強い水色が茶色の机に鮮烈なアクセントを叩きつけていたのだった。そしてその左下、すなわち全体の右下の中でもやや左下側に、これだけ奇麗に置かれた腕時計が針を走らせていた。しかし眼鏡は机の上、何時を指しているかは全くわからない。木の色をした円の世界におけるあらゆる輪郭がそのようにぼやけていたものだから、「僕」の女性遍歴に没頭するあまり僕の体から剥がされていったiPhoneと腕時計と眼鏡とカフェアメリカーノトールのアイスの、本能による必然を体現したような無造作な並びに、ことばという理性の境界線まで水分のようななにかで滲ませ淡くされているかのような神秘的錯覚を覚えることができた。そしてその神秘性は、背もたれに右半身をあずけ、すなわち円の世界を左手にして、真っ青な靴下から解放された足を大袈裟に組み、左手でノルウェイの森を持ち(この瞬間の紙製ブックカバーが手に馴染む感覚はちょうど足の心地よさのようだった)、右手は意識の蚊帳の外、この格好で横目に見たときに幾分も増幅されるのだった。神にでもなった気分だった。ゆえに僕はその光景を今こうしてしたため直している。
 コーヒーで喉がいがいがしたのでホットの抹茶ラテを頼んだ。世界の均衡を崩さないよう眼鏡はかけずに注文しに行った。読む。大きな虫が視界に入る。僕は虫が大の苦手だが、今の僕は神なのでそんな些末なことはどうでもよかった。今は目の前の直子からの手紙と、手紙を見る目の隅に映る、抹茶ラテとさらに体から剥がれたマスクが新規参入した机世界の危うげな秩序、との調和、のほうがずっと大切だった。せめて上巻だけでも読み終えるのだ、僕は。虫が僕の1mほど前を高速で飛んでいく。僕の体は大げさにのけぞった。気づいたら立ち上がっていた。それどころか冷静に考えればただゴチャゴチャしてるだけの机上の荷物群をトートバックに投げ込んですらいた。がむしゃら。無意識はすでに僕を退店させていた。ちょうど先生がレイコと名乗ったところで神は死んだ。
 そしてニセ神はおよそ40分ほどかけて、かつてウソ神話世界の一角を成した極端な水色にたった今エセ神話を描写し終わったので、今からレイコの話を聞き直しに行く。物憂げな文学美少女、またもや返信にはもう少し時間がかかりそうだ。ごめんなさい。
【今日の読書】

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